「25年後のアフリカ」の旅終えて 気付いた“私”の変化 藤原章生

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藤原章生速報毎日新聞 2025/6/15 10:00(最終更新 6/15 10:00) 有料記事 1911文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷友人のケレ・ニャウォ(中央)とドキュメンタリー映像をつくる仲間たち=2024年11月11日午後3時7分、藤原章生撮影 「俺たちオールドメンはもうすぐ死ぬから、こっちに来ないか。最後の旅をしよう」。同い年の友人で脚本家のケレ・ニャウォがメッセージを送ってきたのは7年前、彼も私も57歳のときだった。何を言ってる、もう老人気取りか?と一瞬思ったが、考えてみたら、彼が暮らす南アフリカの平均寿命は短い。すっかり老いぼれているのかと今回訪ねてみたら、逆だった。 先妻に先立たれ、いまは30歳下の新しい彼女と暮らし、赤ちゃんまでできていた。知らぬ間に有名俳優になっていた彼はテレビドラマの仕事で忙しく、酒場に雑貨屋、農場まで運営していた。「すぐ死ぬって何だよ」となじると、「あのときは腎臓が悪くて入院してて、もうすぐ死ぬと思ったんだ」と言い訳した。 2001年までの5年半、特派員として暮らした南アを訪ねるための23年ぶりの旅。貧乏性の私はどうせならとスペインの友人をまず訪ね、サハラ砂漠を南下し西アフリカから南アに飛んだ。のべ10カ月の旅の話を「25年後のアフリカ」として本紙夕刊(一部地域)に5月まで連載した。 月の平均出費を10万円以下に抑えたせいか、アフリカ全般は四半世紀前と大して変わっていないと感じた。ビル、バイク、人は増えたが、私が出会った主に底辺の人々はなんら変わっていない。人情も同じ。小さなトラブルに巻き込まれると、いつも若者たちが救ってくれた。さすがに薪を頭にのせて歩く子はもういないかと思ったら、そんな子たちがリベリアで数珠つなぎに歩いていた。アフリカじゃない。私が変わった 大きく変わったのは私に対する当たりだ。「人心が荒れている」と聞いていたが、「おい、金をくれ」「お前、搾取に来たな」と通りすがりに絡んでくる人がほとんどいない。携帯電話の普及で人への関心が薄らいだのか、外国人に慣れ、マナーが良くなったのか。あれこれ考えていて、はっと思った。アフリカではなく私が変わったのだ。 特派員時代、30代後半の私はいつも切羽詰まっていた。ヨハネスブルクの旧白人居住区サントンの支局兼自宅に妻と幼子3人を残し、年の半分、アフリカ各地に出張した。当時私は目の前のアフリカにはまり、この大陸を知ろうと躍起になっていた。なのに苦労して書いた原稿はボツにされ、今から思えば単に下手だったのだが、「アフリカだからってバカにしやがって」とストレスをためていた。 コンゴ民主共和国の前線から戻り、原稿を電話で吹き込むため長蛇の列に並んで東京本社のデスクにようやくつながると、…この記事は有料記事です。残り884文字(全文1911文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>