毎日新聞 2025/6/12 10:30(最終更新 6/12 10:30) 1844文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷合同慰霊祭であいさつする亀井亘さん=フィリピン・バギオ市で2025年4月20日、グラディス・マキシモ氏撮影(NPO法人サルボン提供) 太平洋戦争で日米両軍の激戦地となったフィリピンのルソン島北部のバギオ市で4月、日比双方の兵士の遺族が合同慰霊祭を行った。 この地で犠牲となった日本兵は約50万人、フィリピン人は100万人以上とされる。 日本から参加した遺族は日比双方の犠牲者に哀悼の意を表し、戦争の悲惨さを後世に伝えていくことを誓った。Advertisement 「戦死した日比双方の将兵の皆さん、私たち遺族は皆さんのことはずっと忘れません。どうぞ安らかに眠ってください」 4月20日、バギオ市内の公園で開かれた慰霊祭の冒頭、父親を戦闘で亡くした浜松市浜名区の亀井亘さん(81)が戦場となった山中に向かって声をかけた。 慰霊祭は、現地の少数民族の教育支援などに取り組むNPO法人「サルボン」(東京都台東区)が初めて企画した。C12○1・バキオ、マニラ.eps 亀井さんが会長を務めるフィリピンで戦死した日本兵の遺族でつくる「比島観音奉賛会」の6人や、在比米陸軍歩兵連隊のフィリピン人兵士の遺族ら約150人が参加した。 サルボン代表の今泉光司さん(65)によると、敵同士だった兵士の遺族が合同で慰霊祭を開くのは現地でも珍しいという。 慰霊祭で、フィリピン人兵士の地元遺族会のテレサ・ポマール会長は「このようなチャンスが訪れるとは思ってもみなかった。戦争中は悪いこともあったが、それは戦争だったからだ。今、私たちは自由と平和を分かち合う良き隣人であり、幸せだ」とあいさつした。 亀井さんは「戦争の厳しさ、苦しさ、悲しさを今後も伝えるように努力していきたい」と誓いの言葉を述べた。その後、参加者は食事や歌などの余興を通じて交流を深めた。 今泉さんは「フィリピン人兵士も日本軍と戦ったことは意外と知られていない。当時の兵士の子ども世代も高齢化する中で、今後もこうしたイベントを開いて、若い世代に歴史を継承し日比の相互理解の促進につなげていきたい」と話す。 亀井さんの父、正美さんは1945年6月、ルソン島北部の山岳地帯で戦死した。34歳だった。亀井亘さんの父、正美さん=浜松市浜名区で2025年4月26日、斎藤良太撮影 当時2歳で、写真でしか父親を知らない亀井さんはまだ見つかっていない遺骨の手がかりを探すため、約35年前から現地に通うようになった。 比島観音奉賛会は72年、フィリピンの戦死者を慰霊する観音像と慰霊碑を愛知県西尾市に建立。慰霊活動のため毎年、ルソン島北部の山岳地帯を訪れている。 亀井さんの父親も含めフィリピンの日本人戦没者の遺骨の多くは未収容のままだ。約51・8万人のうち、まだ約36・9万体が残っているとされる。 厚生労働省が民間団体に委託してフィリピンで行っている遺骨収集事業を巡っては、過去に地元住民の遺骨が混入していた疑いが発覚。2010年に中断したが、18年に日比両政府が再開することで合意した。 ただ、収集事業に進展はみられない。亀井さんは今回の現地訪問の際に日本人のものと称する複数の頭蓋骨(ずがいこつ)が観光客向けの見せ物として飾られていたのを目撃し、帰国後に厚労省に通報して事実関係の調査を求めた。イフガオ族の村で開かれた養子縁組の儀式に出席した亀井亘さん(左端)=2024年2月25日(今泉光司さん撮影の動画より) 亀井さんは「政府は過去の失態から学んで徹底的に調査して収集を進めてほしい」と訴える。 亀井さんの父親が亡くなった場所は、山下奉文(ともゆき)大将が率いた日本兵たちが米軍に追い詰められて最後の抵抗を続けた激戦地だった。 同時に少数民族のイフガオ族ら現地住民を殺害したり、貴重な種芋を奪ったりしていたことを現地に通う中で知った。 そんな加害の歴史があったにもかかわらず、イフガオ族の住民たちは険しい山道を案内し、遺骨収集のための調査に協力してくれた。 彼らが貧しい暮らしを送っていることに心を痛めた亀井さんは遺骨収集や慰霊活動と並行して、02年から支援活動に取り組むようになった。 元兵士や遺族ら日本の賛同者から集めた寄付で、電気が通っていなかった村に小型の水力発電機を贈った。学校には学用品を届け、奨学金制度も設けた。比島観音奉賛会の亀井亘会長=浜松市浜名区で2025年4月26日、斎藤良太撮影 こうした功績から亀井さんは24年に「村の息子」として迎えられ、イフガオ族の神話に由来する「リドゥン」という名前も贈られた。イフガオ族には功績があった人をたたえるため、養子縁組をして「村の息子」として受け入れる風習があった。 亀井さんがこれまでにフィリピンを訪問した回数は約160回に上る。4月に合同慰霊祭が開催されたことについて感慨深く言った。 「戦場になったために兵士のほか住民も犠牲になり多大な迷惑をかけてしまったフィリピンで、双方の遺族が集まる合同慰霊祭を開けたことは大きな意義があった」【斎藤良太】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>