24色のペン毎日新聞 2025/6/4 05:30(最終更新 6/4 05:30) 有料記事 2201文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷デフバレーボールの試合でアタックを打つ狩野拓也医師=本人提供 生まれた時から重い難聴のある狩野拓也さん(32)は、医師になった。当事者の思いを知る耳鼻咽喉(いんこう)科の医師として患者と向き合っている。 バレーボール選手としての活躍も。聴覚障害のあるアスリートによる世界最高峰の大会「デフリンピック」に2度出場し、11月に開催される東京大会の日本代表にも選ばれた。 今回で100周年の歴史を迎えるデフリンピックが東京で開かれるのは初めて。難聴当事者、医師、そして競技者として狩野さんには伝えたいことがたくさんある。生後半年で補聴器を使う 広島県出身。高知大学医学部を卒業して医師になり、現在は愛媛県新居浜市にある十全総合病院で診療に当たる。 両耳に重い難聴があり、生後半年で補聴器を付けた。授業で教師の言葉を聞き取れない時は同級生に助けてもらい、代わりに勉強を教えたという。 将来は人の役に立てる仕事がいいな。そんな考えが浮かんでいた中学生の時に骨折で入院し、医師の仕事にひかれてその道に進んだ。デフバレー代表として 長く続けてきたバレーボールではサイドアタッカーとして活躍し、国民体育大会(現・国民スポーツ大会)の高知県選抜に入ったこともある。 デフバレーボールの世界に足を踏み入れたのは大学生の時だ。試合への参加資格は定められた聴力に満たないことだけ。ルールなどは一般的なバレーボールと変わらない。 全国から選手が集まる代表メンバーは住まいも職業もバラバラで、そろった練習は月1回程度しかできない。 狩野さんは過去2回のデフリンピックで主将としてチームを引っ張った。2017年トルコ大会は7位、新型コロナウイルスの影響を受けた22年ブラジル大会は大会途中で他競技を含む日本選手団の出場辞退が決まり、8位に終わっている。 今回の大会は、強豪のトルコやウクライナを倒してメダルを取ることを目指している。「難聴の子のロールモデルに」 医師の国家試験に受かった後、耳鼻咽喉科を専門に選んだのはデフバレーが生んだ縁のおかげでもある。 当初は検査画像を見て病変を見つける放射線科を検討していた。耳ではなく、目を使う仕事だ。 そんなころ、聴覚障害のある幼い子どもを連れてやってきた親から「勇気づけられました」と感謝の言葉を伝えられた。子の難聴が分かって不安に沈み込んでいた時、医師への道を進みながらプレーする狩野さんの姿をテレビで知って、視界が開けたと聞かされた。 「自分でも誰かの力になれる。難聴のある子どものロールモデルになれるのかな」 当事者である医師だからこそ患者に寄り添えることもあり、耳鼻咽喉科の道に進んだ。検査の結果に衝撃を受ける ところが、働き始めると大きな壁が待っていた。…この記事は有料記事です。残り1091文字(全文2201文字)【前の記事】「こども六法」著者の持つバランス感覚=田中理知関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>