毎日新聞 2025/6/4 10:30(最終更新 6/4 10:30) 676文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷大仁ホテルではロビーにノートが備えられ、宿泊客が長嶋茂雄さんへの思いを記していた=静岡県伊豆の国市吉田の大仁ホテルで2025年6月3日、若井耕司撮影 プロ野球・巨人で活躍し国民的な人気を誇った長嶋茂雄さんの死去を受けて、現役時の1967年から73年まで自主トレーニングの拠点として訪れていた静岡県伊豆の国市(旧大仁(おおひと)町)でも悲しみの声が広がっている。 長嶋さんがトレーニングの拠点とした大仁ホテルには当時の写真パネルが常設展示されている。訃報を受けて特設のメッセージ台が設置され、宿泊客が長嶋さんへの思いをつづった。Advertisement長嶋茂雄さんが「読売巨人軍 長嶋茂雄ランニングロード」を訪れた時の写真を1面に掲載した静岡県伊豆の国市の広報誌=同市提供 長嶋さんが決まって宿泊したのは離れの「富士の間」。今もこの離れを目当てに宿泊する客がいるという。同ホテルで勤務する元管理支配人、佐々木義次さん(67)は「日本一が好きな長嶋さんが富士山の見える部屋が気に入ってここに決めたと聞いている」と話す。 同市は2016年、ホテルから商店街を通って大仁橋に至る1・5キロの道を「読売巨人軍 長嶋茂雄ロード」、ホテルから城山山頂(標高342メートル)までの日々の練習ルートを「同ランニングロード」と命名。沿道にモニュメントを配するなど整備した。長嶋さんは完成後まもなく現地を訪問し、これ以降、現在も巨人軍OBによる少年野球教室が開催されている。読売巨人軍 長嶋茂雄ランニングロードに設置されているモニュメント=静岡県伊豆の国市で、同市提供 ロード開設に尽力した自営業、金子佳史さん(69)は「大仁の名を広めてくれた恩人。今年はあまり見なくなって心配していました。ただびっくりです」と話した。 同市も長嶋さんの写真や色紙を玄関に置いて追悼している。引退試合を当時浪人生だった18歳の時に観戦した山下正行市長は「私にとってのヒーローでした。ご冥福をお祈りします。またトレーニングの聖地として広く知ってもらいたい」と語った。【若井耕司】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>