2025.07.05山崎 龍(乗り物系ライター)tags: クライスラー, ジープ, ホンダ, 自動車円高を背景にした1990年代の輸入車ブームは、戦略的価格を打ち出したジープ「チェロキー」のエントリーグレード追加から始まりました。同車は日本で大ヒットし、現代まで続くジープ人気の立役者となったのです。 1985年9月のプラザ合意によって急激な円高・ドル安が進んだ時期に、日本政府が金融緩和を実施したことで、不動産や株式への投資が活発化。地価や株価が実態以上に高騰し、投機的な取引が横行したことで、史上空前の好景気、いわゆる「バブル景気」が発生しました。そして、この頃は「円高差益還元」の一環で輸入品の多くが値下げされたことで、それまで庶民には高嶺の花だった海外の一流ブランド品が身近になった時期でもあります。拡大画像2代目ジープ「チョロキー」5ドアモデルのリアビュー。この車両はリアハッチにスペアタイヤを備えないが、顧客はスペアタイヤを外装式にするか内装式にするかを購入時に選べた(画像:クライスラー)。 この輸入品ブームはバブル経済崩壊後もしばらく続きます。なかでも輸入車は相次ぐ値下げにより、国産車との価格差がグッと縮まったことから、輸入車を新車で購入するユーザーが急増しました。その結果、1995年には輸入乗用車のシェアが1972年の統計開始以来、初めて10%を超えたのです。 この輸入車の値下げブームのきっかけを作ったのが、2代目ジープ「チェロキー」(XJ型)です。同車は1993年12月に装備を簡略化し、価格を298万円に抑えた「スポーツ」グレードを発売したことで人気に火がつきました。これは既存の最廉価グレードから167万円も安いプライスでした。 また、価格改定に併せて日本仕様の「チェロキー」は全車右ハンドル化され、従来のクライスラー・ジャパンでの販売網のほかに、従来SUVのラインナップを持たなかったホンダ系のディーラーでも新たに販売が開始されています。 これら理由に加えて、当時のSUVブームも追い風となり、日本では「売れない」と言われていたアメリカ車にも関わらず、「チェロキー」の販売は飛躍的な伸びを見せ、日本におけるジープ人気を確固たるものにしたのです。【次ページ】アメ車らしい、でも使い勝手の良いコンパクトSUVとして誕生【今なら人気出そう!】これが日本未発売のジープ「チェロキー」です(写真)