毎日新聞 2025/6/23 11:00(最終更新 6/23 11:00) 1096文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「平和の詩」の朗読者に選ばれ、意気込みを語る城間一歩輝さん=沖縄県豊見城市で2025年6月13日午後4時5分、喜屋武真之介撮影 沖縄県糸満市の平和祈念公園で23日に営まれる沖縄全戦没者追悼式では、同県豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝(いぶき)さん(11)が平和の詩を朗読する。題は「おばあちゃんの歌」。沖縄戦を生き延びた祖母が、沖縄民謡「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー(艦砲の食べ残し)」を泣きながら歌う姿を目の当たりにし、戦争が心と体に残した深い傷と、つながれた命の大切さに思いをはせた。 母さおりさん(53)によると、祖母の比嘉キヨ子さん(85)は豊見城村(現・豊見城市)の自宅近くの防空壕(ごう)に家族で隠れていたところに手投げ弾を投げ入れられ、左脚に大けがをした。一緒にいた1歳の弟は即死。キヨ子さんは米軍の病院で右脚から左脚に皮膚を移植する手術を受け、一命を取り留めた。Advertisement しかし、脚に残った傷痕は、キヨ子さんにとって強いコンプレックスとなった。学校の体育の授業では傷痕が見える体育着に着替えようとせず、先生に怒られた。娘のさおりさんですら、2年前にキヨ子さんが腰を痛めて入院するまで、傷痕を見たことはなかった。今でも自身のことを「傷もの」と言うという。 「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌詞には、多くの住民が犠牲になった地上戦で「生き残ってしまった」という自嘲的な意味が込められている。歌は1975年にレコード化されて多くの戦争体験者が共感し、沖縄で長く歌い継がれてきた。キヨ子さんは、孫たちの前で涙ながらに歌い終えると「あの戦で死んでおけばよかった」と漏らした。 その言葉に一歩輝さんは強いショックを受けた。一歩輝さんにとって、キヨ子さんは「いつもニコニコしていて優しいところが好き。一緒にいると楽しい」と感じるおばあちゃん。自宅を訪ねると、ほおに触れて優しく迎え入れてくれる。 詩には「『艦砲射撃の食べ残し』と言われても 生きてくれて本当に良かったと思った」とまっすぐな思いをつづった。一歩輝さんは「詩を書いたことで、自分の命がどのようにしてつながれてきたのかを知ることができた」と振り返る。 朗読者に選ばれたことを報告すると、キヨ子さんは「私が『艦砲ぬ喰ぇー残さー』ということがみんなに知られてしまう」と複雑な表情を浮かべつつ、「平和な世の中になってほしいから、頑張りなさい」と後押ししてくれたという。「つらい思い出だからと聞かないでいたら、おばあちゃんが今でも苦しんでいることや、何十年も人を苦しめ続ける戦争の怖さもわからなかったかもしれない」 詩の最後で誓う。「おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく おばあちゃんが繋(つな)いでくれた命を大切にして 一生懸命に生きていく」【喜屋武真之介】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>