24色のペン毎日新聞 2025/7/2 06:00(最終更新 7/2 06:00) 有料記事 2125文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷2018年に92歳で亡くなった加古里子さん=加古総合研究所提供 この春引っ越してきた川崎市では、そこかしこで、ある絵本作家の名前を目にする。区役所や図書館はもちろん、地元の本屋、散歩で通りかかった公園にも、紹介する看板が立っていた。 「だるまちゃん」シリーズ(福音館書店)も「どろぼうがっこう」(偕成社)も幼少期の私にとって心躍る一冊だったが、数々の作品にどんな思いが込められているのかは、よく知らないままだった。創作活動の源 2018年に92歳で亡くなった加古(かこ)里子(さとし)さん。戦後のこの地で、子どもたちに自作の紙芝居を披露したり、絵の指導をしたりする地域に根差したボランティア「セツルメント活動」をしていた。 当時、昭和電工で会社員として働いていた加古さんは、仕事が終わると、絵本作りや週末のセツルメント活動の準備に時間を費やす日々だった。子どもたちとの交流が、創作活動の源になっていたようだ。 大切なことは、すべて子どもたちに教わった――。 加古さん88歳の時に出版された自叙伝「未来のだるまちゃんへ」(文芸春秋)にはそう書かれている。これほど、子どもたちに思いを寄せたのはなぜなのだろうか。 その理由が知りたくて、長女で加古総合研究所の鈴木万里さん(68)に取材を申し込んだ。原点に通じる戦争体験 「子どもたちにはいろいろなことを知って、幅広い知識の中から判断できる賢さを持ってほしいと願っていました。そこが創作の原点です」 鈴木さんはそう語る。600点以上の作品を世の中に送り出してきたが、加古さんは「まだまだ足りない」と満足しなかった。 その言葉には、成長とともに1000、2000と広がっていく子どもたちの興味・関心に応じられる絵本を作り続けたい、という思いが込められていたという。 背景にあったのは、19歳までの多感な時期に暗い影を落とした自身の戦争体験があった。 「この体験がなければ、…この記事は有料記事です。残り1349文字(全文2125文字)【前の記事】「黄金の3年」と大連立=野口武則関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>