もっと社会人野球毎日新聞 2025/6/26 08:00(最終更新 6/26 08:00) 有料記事 2744文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷初出場した都市対抗東海2次予選でマウンドに駆け寄る寿々クラブの村瀬耕次監督(右)=愛知県の岡崎レッドダイヤモンドスタジアムで2025年6月9日、高橋広之撮影 社会人野球の都市対抗優勝監督が指導するクラブチームがある。東海地方を中心に介護事業などを展開する寿々グループが母体の寿々クラブ(名古屋市)だ。 率いるのは、2001年の都市対抗大会で河合楽器(浜松市)を頂点に導いた村瀬耕次監督(66)。24年前に都市対抗初優勝の歓喜に沸いた数カ月後、チームが休部となる悲劇を味わった。 クラブチームを指揮して5年目の今季、初の東海2次予選に導いた。クラブのチーム作りに携わって気づかされたことがあった。トヨタから豪快2ラン 村瀬監督は前身のTJクラブ時代の21年からチームを率いる。寿々クラブと名称変更した今季、愛知の1次予選を初めて勝ち上がり、東海2次予選への切符を手にした。 河合楽器の監督を退いてから初めてとなる2次予選だ。1回戦の相手は都市対抗出場26回、優勝2回の名門・トヨタ自動車だった。 「1点でも多く取って、少しでも長く試合をしたかったです」 村瀬監督の思いが選手にも伝わったのか、最初にグラウンドを沸かせたのは、寿々クラブだった。 一回に1点を先取すると、愛知のクラブチームの矢場とんブースターズから今季移籍し、大阪で働きながらプレーする4番・川上泰介選手が左翼スタンドに豪快な2ランを放った。立ち上がりで3点を奪ってみせた。 しかし得点できたのはこの回のみ。3-15で七回コールドでの完敗だった。その後も第3代表決定トーナメントに回り、1回戦で日本製鉄東海REXに0-9で負けて敗退した。 1勝はできなかったが、懐かしい雰囲気を味わった村瀬監督は「最高の2試合でした」との感慨を口にした。河合楽器はプロも輩出 村瀬監督は愛知・中京高(現中京大中京高)で春夏の甲子園を経験し、中京大を経て河合楽器でプレーした。その後に監督に就任した。 河合楽器は都市対抗出場26回で、当時は同じ浜松市を拠点とするヤマハとともに東海地区の名門チームだった。 ヤクルトで活躍して監督を務めた小川淳司氏(現ヤクルトゼネラルマネジャー)や中日で通算62勝を挙げた山井大介氏(現中日投手コーチ)ら多くのプロ野球選手も輩出した。 01年のチームは、山井投手や広島に入団した久本祐一投手を擁していたが、2人とも新人だった。村瀬監督も当時について、どのぐらい投げられるのかの計算が立たず「優勝するとは思えなかった」と振り返る。 ただ、躍進のきっかけを作ったのが「若手」だった。 朝日生命との1回戦は、新人の広畑喜代吏選手がサヨナラ本塁打を放って勢いづいた。2回戦は三菱重工長崎を相手に久本投手が七回途中を2失点と試合を作り、打線もエース左腕・杉内俊哉投手(現巨人投手チーフコーチ)を攻略して九回の逆転劇につなげた。 日産自動車との準決勝は山井投手が先発して8回無失点の力投を見せ、最後は久本投手に継投して零封リレーで決勝に進出。チームはそのまま悲願の頂点まで駆け上がった。「内定取り消してほしい」 しかし、その後に予想もしていなかった通告が待っていた。優勝してから1カ月もたたず、歓喜の余韻も残る8月。村瀬監督は会社に呼ばれて告げられた。…この記事は有料記事です。残り1464文字(全文2744文字)【時系列で見る】【前の記事】例年より1増で3枠の争い SUBARUが中心 都市対抗北関東2次関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>