毎日新聞 2025/2/27 05:30(最終更新 2/27 05:30) 有料記事 1834文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷骨つぼの中に入っていた小石と眼鏡、死亡認定書の写し=東京都内で2025年1月27日午前10時52分、菅健吾撮影 墓じまいをするため、約30年前に亡くなった父の骨つぼを開けた。中にあるのは、遺骨の代わりに納めた小石。改めて見ると、数が記憶より多い。「父の痕跡」を集めようと夢中で拾ったのだろうか。オウムによる監禁致死事件 1995年、オウム真理教による東京・目黒公証役場事務長の監禁致死事件があった。仮谷実さん(65)の父清志さん(当時68歳)は、その被害者だった。 清志さんの妹は教団の信者で、脱会を決意し、逃げていた。教団幹部らは、妹から相談を受けていた清志さんから居場所を聞き出そうとした。信者に尾行もさせた。 2月28日夕、清志さんは帰宅途中だった東京都品川区の路上で、教団幹部らに車で拉致された。山梨県上九一色村(現富士河口湖町)の教団施設で監禁されて麻酔薬を大量投与され、翌日に副作用による心不全で亡くなった。「何かあれば通報してくれ」 清志さんは、教団と交渉するため、弁護士を探して奔走していた。嫌な予感がしたのか、事件当日に「何かあれば警察に通報してくれ」と書き置きを残した。 その字は乱れていた。長男の実さんは「父は普段、丁寧に書く。動揺していたのだろう」とみる。 事件の日、実さんの勤務先と関係のあった弁護士が、交渉を引き受けてくれることになった。清志さんには帰宅後に伝えるつもりだった。 だが夕方に妻から電話があった。「お父さんが連れて行かれちゃった」。頭の中が真っ白になり、急に教団のことが怖くなった。 翌月3月20日に地下鉄サリン事件が起き、山梨県の教団施設への強制捜査が始まった。でも父が見つかったという連絡はなかった。「こんな寒い所に」 「別の施設で隠しているのではないか。殺すことはないだろう」。しかし7月、警察から「複数の容疑者の証言から清志さんは亡くなり、遺体は焼かれて本栖湖(山梨県)に捨てられたようだ」と伝えられた。その日は一晩中、涙が止まらなかった。 警察官の案内で遺灰が捨てられた本栖湖に家族で向かった。「父は風呂が大好きだった。まさかこんな寒い所に捨てられたなんて」。…この記事は有料記事です。残り983文字(全文1834文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>