日本統一教会:学者・櫻井義秀氏の批判に対する記念碑的な反論

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元統一教会信者である日本の学者が、統一教会信者の魚谷俊輔氏の大著を書評し、櫻井氏の見解を批判する。仲正昌樹魚谷俊輔氏と彼の新著『反証 櫻井義秀・中西尋子著「統一教会」』日本の新宗教研究では、大本教、天理教など戦前弾圧や厳しい統制を受けた神道系の教団や、公明党を通じて政権に参加している創価学会など、(日本に土着した主要な宗派の系譜に連なる)仏教系の教団については、ある程度の研究の蓄積があり、研究者たちも中立的な態度を取ろうと努力しているように思えるが、安倍元首相殺害事件以降、話題になっている「統一教会(世界平和統一家庭連合)」は、60年以上にわたって日本で活動しているにも関わらず、反対運動に関わっている活動家(「カルト」専門家)による研究が多く、学問的に意味のある研究はほとんどなかった。唯一学者による本格的な研究と言えるものとして、櫻井義秀氏(北海道大学教授)と中西尋子氏(大阪公立大学研究員)による『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』(2010)があるが、櫻井氏は自ら反統一教会的な啓蒙活動に関わっており、学問的に信頼できる中立的な叙述とは言えなかった。安倍元首相以降の一連の統一教会をめぐる騒動を受けて、櫻井氏が急遽単独で執筆した、新書『統一教会』(2023)では、元信者(を名乗る人間)のブログの内容を出展を明示せずそのまま資料として利用するなど、杜撰さが指摘されている。魚谷俊輔氏が今回出版した『反証 櫻井義秀・中西尋子著「統一教会」』は、櫻井氏が統一教会問題の権威と見なされるきっかけになった、前掲共著『統一教会』に対して、神学を学んだ信者の視点から徹底的に反論を加えることで、日本社会で流布する「統一教会」像の歪みを正そうとするものである。信者の立場からの反論なので、価値中立的とは言えないが、櫻井氏のアプローチがどのような意味で学問的客観性を欠いており、この教団、延いては、紛争の火中にある新宗教について真に学問的に価値ある研究をするには、どういう準備、方法が必要か考えるうえで重要なヒントを提供している。魚谷氏の『反証』は、櫻井氏の記述に対し、統一教会の教義、宣教戦略、入信までのプロセス、経済活動、組織の概要など、かなり詳細に反論を加えているが、主眼が置かれているのは、宗教社会学者である櫻井氏の研究手法である。櫻井氏は基本的に、脱会した元信者からの資料と証言に基づいて記述している。脱会者の中でも、脱会カウンセリングを受けた人たち、従って、脱会後、反統一教会の団体やディプログラマー等と繋がり、教団に対して強い反感を持っている可能性が高い人たち、アメリカの社会学者ルイス・コーザーが「背教者(apostate)」と呼ぶ人たちである。櫻井氏は、現役信者に対する聴き取りや、教団の儀礼・生活への参与観察といったことは行っていない。櫻井義秀教授櫻井氏はそうなった理由として、「統一教会が極めて社会的問題性の強い団体であり、研究者として教団と適切な距離がとれないこと、教団からの研究者に対するコントロールも予想されること」を挙げている。これに対して魚谷氏は、英国のアイリーン・バーカー、ジョージ・D・クリサイディス、イタリアのマッシモ・イントロヴィニエなど、海外の研究者が教団と適切な距離を取りながら参与観察を行い、学会でも高く評価されている研究書を出していることを引き合いに出し、櫻井氏の前提に疑問を呈している。また、「研究者に対するコントロール(圧力)」に関しては、その団体に都合が悪いことを書かせないようにする圧力がかかる恐れはどの宗教団体の調査にもつきまとうことであって、やってみない内から、圧力を恐れて諦めてしまうのは研究者の姿勢としておかしいことを示唆している。私個人にとって興味深いのは、脱会者の証言をベースに研究した櫻井氏が「脱会者」である元信者をどのように分類し、どういうタイプにアプローチしているか、という点である。私自身、統一教会の「脱会者」だからである――私が入信していた期間は、1981年4月から92年10月までである。櫻井氏の分類では、「脱会者」は大きく、①自発的脱会者と、②強制的脱会者に分かれる。この二つはそれぞれ二つのサブグループに分かれる:①-i)自然脱会者、①-ⅱ)脱会カウンセリングを受けた脱会者、②-i)教団により強制的にやめさせられたもの、②-ⅱ)ディプログラミング等外部からの介入行為により強制的に脱会させられたもの。この分類だと、私は一応①-i)(自然脱会者)に入る。櫻井氏によると、このサブカテゴリーに属する人の大半は、セミナー等の受講の段階でやめた人であり、正式な教会員となった後、ついていけなくなった人も含まれるが、正確な人数は分からないとしているが、私の場合は後者である。櫻井氏は、自分の調査の主な対象は①-ⅱ)であり、①-i)に出会うのは容易ではないと明言している。理由は、悪名高い統一教会の信者だったと公言する人がいるとは思えないからだという。「公言する人がいるとは思えない」という点については、私自身の立場から異議を唱えたい。私は大学教員になった(1998年1月)直後から、様々な媒体で自分が元統一教会信者であることを公言しており、『統一教会』の初版が刊行される半年前に、『Nの肖像』(2009)という自伝的著作を出している。櫻井氏が普段から元信者が開設しているウェブサイトやブログをチェックしていれば、そのことを知らないはずがない。しかし、彼から私に対して元信者として証言してほしい、と問い合わせてきたことは一度もない。私が統一教会の負の側面ばかり強調せず、教義や実践については出来るだけ自分の知っている範囲で中立的に伝えようとし、自分自身の問題も告白していたからではないかと思う。自分と同じ大学教員という立場の人間から話を聞いておいて、自分の主張に合わないからといって無視すると、面倒そうなので最初から避けたのではないか、と思う。千葉で信教の自由を訴える家庭連合の信者たち、2024年7月。話を魚谷氏の『反証』自体に戻そう。同氏も櫻井氏が自分から元信者ですと名乗り出る人がいないと最初から決めつけて、①-i)の自然脱会者を探し出して会おうと努力していないことを問題視している。櫻井氏は調査対象についての記述の文脈のある個所で、「自然脱会の場合、統一教会への思いは両義的であることが多く、再び統一教会へ戻る元信者もいるので、統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しない」と本音を吐露してさえいる。つまり、彼は統一教会批判を目的として、それに都合の良い材料だけ集めているわけである。櫻井氏は①-ⅱと②-ⅱで表現を変えているが、いずれも他者から心理的な強い働きかけを受けてやめた人である。魚谷氏が指摘するように、脱会時にそうした「再教育」を受けているか否かで、自らの回心体験をどう描くかに大きな違いが出てくることが海外での比較的研究から知られている。魚谷氏はトルーディ・ソロモンやスチュアート・ライト等の実証的研究を引きながら、ディプログラミングを受けた人では、そうでない人に加えて、自分が「洗脳」あるいは「マインド・コントロール」を受けたと証言する割合が顕著に高くなることを指摘している。魚谷氏は更に、櫻井氏が利用した対統一教会裁判での脱会者の証言から、彼らが「監禁」状態で説得を受けたケースが多いことを指摘している。彼らは①-ⅱのカテゴリーに属し、教会にとって有利な発言をする理由のない者たちである。それは異常な事態であるが、この点について櫻井氏は特に問題と考えていないようだ。中西氏のパートは、教会で国際祝福結婚をして韓国人の男性と結婚し、韓国に移住した日本人女性信者を調査対象にしたものである。それは現役信者を調査対象にしたものであるため、櫻井氏担当部分に比べて学問的に評価できる部分もあり、その点は魚谷氏も認めている。聴き取り調査を行った対象が38人と比較的少数であったにもかかわらず、櫻井氏や他の反統一教会活動家によって作られた“分析”枠組みに無理に当てはめて、早急に結論を出していることを魚谷氏は指摘している。彼女は、教団内における日韓の信仰観・結婚観の違いを論じているにもかかわらず、これら二つのグループの比較対照を行っていない。実際、彼女は日本在住の日本人信者に対するインタビューを行っていない。魚谷氏のこうした批判に応える形で、日本の宗教学者から党派性に囚われない統一教会研究が行われることを望みたい。現状であれば、多くの現役信者や自然脱会者が喜んで協力するだろう。The post 日本統一教会:学者・櫻井義秀氏の批判に対する記念碑的な反論 first appeared on Bitter Winter.