ブラボー:ピアニスト、アリス=紗良・オットさんが伝える未知のノクターン

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クラシックBravo!毎日新聞 2025/2/27 08:00(最終更新 2/27 08:00) 有料記事 1873文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ピアニストのアリス=紗良・オットさん=東京都渋谷区で2024年9月17日、宮武祐希撮影 ノクターンといえば、連想するのはショパンだろう。 それを生み出したアイルランドの作曲家、ジョン・フィールド(1782~1837年)に、現代の音楽界でスポットが当てられることはほとんどない。 国際的に活躍するピアニストのアリス=紗良・オットさんはコロナ禍で偶然、フィールドのノクターンに出合った。 「気づいたら口ずさんでしまうくらいに入り込んでいた」と魅力を語り、自らの演奏で哀愁を帯びた音楽の世界に聴き手を誘い込む。親しみとノスタルジー オットさんが、日本語で「夜想曲」と翻訳されるノクターンの創始者がフィールドであることを知ったのは10代半ば。「それまでノクターンを生み出したのは、ショパンだと思っていました」と明かす。 その音楽に、本格的に耳を傾けるようになったのは、新型コロナウイルスが感染拡大し、世界的な大流行に見舞われていた時期だった。 「抑うつとした雰囲気の中で、ノクターンのプレーリストを作ろうと、いろいろな作曲家のノクターンを探していたら、フィールドの全集を見つけました。どこか親しみがありながら、ノスタルジーも感じました」 1曲目から魅了され、しばらく繰り返し聴き続けた。 「モーツァルトのアンダンテを思い出させるような静かな流れがあれば、即興性や装飾音の使い方はショパンをほうふつとさせました。後年に私たちが愛する音楽形式の基を発明したのが、フィールドだったと気づきました」聴く機会少ない作品をリリース フィールドは後年の作曲家たちに大きな影響を与えたが、その足跡をたどるのは難しい。ダブリンで生まれ、クレメンティにピアノを師事。20歳の時に、恩師とともにロシアを訪れると、そのまま定住した。晩年には一時ロンドンに戻り、欧州各地を巡るが、54歳の時にモスクワで没している。 「自筆譜や書簡はあまり残っていないので、友人や支援者たちが書き記したものからたどっていくしかありません。現在残されている彼自身の手による資料は、他の作曲家に比べてずっと少ないのです。生涯の多くがロシアでの日々で、現在の状況下ではロシアから情報を得ることが難しいことも影響しています」と語る。 現代の人々にとっては聴くことの少ない作曲家といえるフィールドのノクターン全集(全18曲)を、オットさんは2月にリリースした。これまで…この記事は有料記事です。残り913文字(全文1873文字)【前の記事】21世紀のリストに ピアニスト・金子三勇士さんが本気で目指す高み関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>