そもそもパレスチナ問題とは 三つの宗教の聖地巡る対立の歴史

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毎日新聞 2025/7/6 21:35(最終更新 7/6 21:35) 1120文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷イラン攻撃開始の前日、エルサレム旧市街地にある「嘆きの壁」に祈りをささげ、メモをはさんだネタニヤフ首相=2025年6月12日(イスラエル首相府提供) 中東の激動を象徴する地、パレスチナ。ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」には、祈りをささげるためにたくさんのユダヤ教徒が訪れる=エルサレムで2013年 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教の聖地エルサレムを抱え、宗教と民族が複雑に絡み合ってきた。なぜ、この地では長年にわたり争いが絶えないのか。2023年から続くガザ地区での戦闘を踏まえ、パレスチナ問題の背景と現状を整理する。ユダヤ教の「約束の地」パレスチナ自治区 パレスチナとは、地中海東岸に位置する地域の呼び名だ。ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書では、神が預言者アブラハムに与えた「約束の地」としている。古くから人々や文化が交わり、多様な歴史を刻んできた。Advertisement 現在のパレスチナ問題は、ユダヤ人とアラブ人の対立に端を発する。19世紀末から20世紀初めにかけて、ヨーロッパなどで迫害を受けてきたユダヤ人たちは、独自の国家を持とうと「シオニズム」という運動を始めた。そして、パレスチナへの入植を進めていった。 当時、パレスチナはオスマン帝国の支配下にあり、多数のアラブ系住民が暮らしていた。入植を進めるにつれて、土地をめぐる対立が増えていった。英国の「三枚舌」が混乱招く 第一次世界大戦中、英国はパレスチナをめぐり三つの矛盾した約束をした。ユダヤ人には居住地建設を認める一方で、アラブ人には独立を約束し、さらにフランスとは地域を分割する協定を結んだ。それぞれに異なる約束をしてしまう「三枚舌外交」が、現在も続く混乱の原因となった。簡素な家屋が並ぶユダヤ人入植地「アミハイ」=ヨルダン川西岸で2023年9月10日、三木幸治撮影 戦後、パレスチナは英国の管理下となり、ユダヤ人の入植はさらに進んだ。土地をめぐる衝突が激しくなる中、第二次世界大戦ではナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)が起こり、ユダヤ国家建設への動きは一気に高まった。 1947年に国連はパレスチナをアラブ人国家とユダヤ人国家に分ける案を採択した。翌年、ユダヤ人はイスラエルの建国を宣言した。 これに反発したアラブ諸国とイスラエルとの間で、4度にわたる中東戦争が勃発。イスラエルは軍事的に優位に立ち、特に67年の第3次中東戦争では、ヨルダン川西岸地区や東エルサレム、ガザ地区などを占領した。この戦争で多くのアラブ系住民が故郷を追われ、難民となった。パレスチナ自治区ガザ地区への入植を求めるイスラエルの極右入植者組織の集会に参加する人々=イスラエル南部スデロット近郊で2024年12月26日、松岡大地撮影「2国家共存」目指し合意も… 93年には、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」を目指すオスロ合意が結ばれた。イスラエルはヨルダン川西岸とガザでパレスチナ人の自治を一部認めたものの、その後の和平交渉は進まず、停滞している。 パレスチナ自治区は現在、ヨルダン川西岸を穏健派ファタハが統治し、ガザ地区をイスラム組織ハマスが実効支配する。23年10月以降、ガザではイスラエルとハマスの間で激しい戦闘が続き、パレスチナ保健当局によると、死者は5万7000人を超えた。【古川幸奈】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>