毎日新聞 2025/6/3 13:12(最終更新 6/3 13:12) 有料記事 1312文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷中日を6-3で破り優勝を決め長嶋茂雄監督を胴上げして喜ぶ巨人の選手たち=名古屋市中川区のナゴヤ球場で1994年10月8日、片山喜久哉撮影 「ミスタープロ野球」と呼ばれ、国民的な人気を誇ったプロ野球・巨人の名選手で巨人監督やアテネ・オリンピック日本代表監督を務めた長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが3日、肺炎のため89歳で亡くなった。 戦後のプロ野球、いや日本の社会を燦々(さんさん)と照らした太陽が、いま、沈んだ。 1958年、ここはあえて昭和33年と書きたい。長嶋さんが巨人に入団した時、プロ野球は本当の意味で国民的娯楽になった。ダイナミックで華麗な守備。59年の「天覧試合サヨナラ本塁打」に象徴される勝負強い打撃。天真らんまんなキャラクター。当時を知るファンは、長嶋さんがグラウンドに立つだけで場内の照明が何ルクスか明るくなったように感じたという。薄暗いモノクロスタンダード画面が総天然色のワイドスクリーンに変わったような華やかさ。戦前に「職業野球」と呼ばれたわびしさを完全に払拭(ふっしょく)した。 グラウンド狭しと躍動する背番号「3」のプレーを見て、どれだけの人が励まされ、野球の魅力を知ったことか。ONコンビを組んだ盟友・王貞治さんは言う。「野球の好きな人のものだったプロ野球に、野球を見たこともない人も、お年寄りも若い人も、男も女も、関係なく引き込んだのは長嶋さんじゃないか」 だが、やがて日は傾く。74年の現役引退後、12年間の浪人生活を挟んだ2度の巨人の監督時代は、華やかではあるが、選手時代のような底抜けの明るさは欠いたように思う。それは長嶋さんの責任ではなく、日本社会が低成長期に入り、価値観も多様化したことで、古き良き無邪気さを失ったことによるのだろう。 2001年オフに巨人監督を辞した直後、長嶋さんは内輪の場でこう話した。…この記事は有料記事です。残り606文字(全文1312文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>