毎日新聞 2025/6/3 13:31(最終更新 6/3 13:31) 745文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷プロ野球イースタン・リーグ公式戦の始球式で、背番号「3」のユニホームを着て打席に立った長嶋茂雄さん=千葉県佐倉市で2017年6月4日午後1時4分、近藤浩之撮影 プロ野球・巨人の名三塁手として活躍し、巨人監督やアテネ・オリンピック日本代表監督を務めた長嶋茂雄さんが3日、肺炎のため死去した。89歳だった。 ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんが亡くなったことを受け、高校時代を知る人々からも哀悼の声が上がった。Advertisement 長嶋さんが在籍した千葉県立佐倉一高(現・佐倉高)野球部と練習試合で何度も対戦した小坂透さん(89)は「まさかという気持ちだ。涙が出てきてしまう」と言葉を失った。 長嶋さんとは同学年。「とにかくレベルが違った。足も速いし攻守もすごい。野球の腕前はもう名人のその上だった」 長嶋さんのプレーだけでなく、人間味あふれる姿も印象に残る。「私らのような下手くそにも分け隔てなく接してくれて、人がいい。みんなから『しげ』と呼ばれて愛されていた。おっちょこちょいでグラブを家に忘れたり、エラーもしたりしたけど、そこがまた彼の魅力だった」 小坂さんの当時のチームメートも昨年亡くなった。「しげが最後までいて送ってくれると思っていたのに。また天国でみんなに野球を教えてほしい」と悼んだ。 佐倉一高野球部で1年後輩だった寺田哲夫さん(89)は「さみしい」と口にした。 寺田さんは「野球を広めた世界的な人気者」と長嶋さんの功績をたたえた。引退後も、地元・佐倉市の長嶋茂雄記念岩名球場で、少年チームを集めてげきを飛ばしていた姿が強く記憶に残っているという。 最近は会う機会がなかったものの、知人と野球の話をするたびに「長嶋さん、どうしてるんだろうか」と思いをはせていた。長嶋さんが脳梗塞(こうそく)で入院した後には、成田山新勝寺を訪れて回復を祈ったこともあった。 自宅には、長嶋さんの写真を飾っている。「野球人生、ご苦労様でした」と言葉を贈った。【平塚雄太、高橋晃一】あわせて読みたいAdvertisement現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>