「万里の長城」越えの津波を伝承 岩手・田老地区に新施設開館

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毎日新聞 2025/6/7 09:45(最終更新 6/7 09:45) 884文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷災害資料伝承館に掲示された「万里の長城」と呼ばれた防潮堤に関する説明文=岩手県宮古市で2025年6月3日、奥田伸一撮影写真一覧 2011年の東日本大震災で被災した岩手県宮古市に6日、「災害資料伝承館」が開館した。市北部の田老(たろう)地区で「万里の長城」と呼ばれた防潮堤を越えて町を直撃した震災の津波をはじめ、江戸時代以降の津波や近年の水害、火災など市内の自然災害に関する資料130点を展示している。 宮古市は大震災で517人が犠牲になり、田老地区は最多の181人が亡くなった。旧田老町は05年の合併前から津波資料館の開設を検討しており、市は旧町役場跡に津波に加え、台風や山林火災など市内全域の災害を網羅する施設を建設した。Advertisement 田老地区は1933年の昭和三陸地震による津波で600戸中住家3戸などを残して流失した他、それ以前も度々被害を受けた津波常襲地帯。昭和三陸地震の翌年から45年かけて総延長2400メートル、高さ10メートルの防潮堤を築造し、中国の巨大城壁になぞらえて「万里の長城」と呼ばれたが、震災の津波は大きく上回る16メートル超だった。災害資料伝承館には過去の津波高や新たな巨大津波の想定高を比較できる表示も設置された=岩手県宮古市で2025年6月3日、奥田伸一撮影写真一覧 資料館の展示室に入ると「万里の長城 田老防潮堤の歴史」と青地に白抜きで書かれた文字が目に飛び込んでくる。パネルには田老村長(当時)の決断など建設の経緯が一目で分かるように記されている。 田老地区で観測された東日本大震災や昭和、明治の三陸地震、岩手県が22年に公表した新たな津波浸水想定の津波高の違いが分かる表示を設置した。震災時の田老の津波被害や復興後の町の様子を映す投影機もある。 この他、市内で見つかった震災発生時刻の午後2時46分で止まった時計、津波の直撃を受けた標識を展示。1961年に宮古など岩手県沿岸北部で発生した「三陸フェーン大火」や2016年に観測史上初めて岩手に上陸した台風10号の被害写真も掲示されている。 開館式に出席した山本正徳市長は取材に「この施設で学び、誰一人災害で命を落とすことがないようにしてほしい。防潮堤は高さ以上の津波は防げず、波の力で破壊されることもある」と語った。災害資料伝承館には震災の津波で倒壊した道路標識が展示されている=岩手県宮古市で2025年6月3日、奥田伸一撮影写真一覧 鉄骨平屋延べ420平方メートル、総事業費5億5000万円。開館は午前9時~午後5時。月曜休館(祝日の場合は翌日休館)。入館無料。【奥田伸一】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>