「時限爆弾」抱える住民 クボタのアスベスト禍20年、終わらぬ救済

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毎日新聞 2025/6/7 18:01(最終更新 6/7 18:01) 有料記事 3251文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷アスベスト被害者遺族と交流する飯田浩さん=兵庫県尼崎市で2025年4月5日、三村政司撮影 <風にのり 自由にはばたく あのツバメは僕です 見えますか?> この詩のタイトルは「空をゆくツバメ」。作者は矢木龍八さん=兵庫県明石市=で、アスベスト(石綿)の影響で中皮腫を患い、2010年夏、58歳で亡くなった。空を自由に飛ぶツバメに希望を託したのだろうか。その後、詩にメロディーがつけられ、患者や遺族の間で今も歌い継がれている。 矢木さんは2歳から小学6年まで、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場の近くで暮らしていた。自宅は工場から約500メートルにあった。06年に中皮腫にかかり、手術で右肺を切除。サックス愛好家だったため、病気だと知らない大学時代の知人にバンド演奏に誘われた。矢木さんは残った左肺を使い、久しぶりにサックスを奏で始めた。 中皮腫などアスベスト(石綿)関連病患者を支援する「尼崎労働者安全衛生センター」の事務局長、飯田浩さん(78)は、矢木さんに依頼した。「ぜひ、患者と遺族の集会で演奏してください」 矢木さんは了承し、集会でサックスを演奏するようになる。しかし病状が進むにつれ、音量は弱まっていく。それが哀愁を帯びたメロディーとなり、多くの人々の心に響いた。矢木さんは「今後もサックスを吹いて患者を励ましたい」と宣言したが、その半月後、この世を去った。 05年6月に新聞報道で表面化したクボタ旧神崎工場によるアスベスト禍。矢木さんのように、数多くの周辺住民の人生を狂わせていた。「静かな時限爆弾」 「静かな時限爆弾」。中皮腫はそう呼ばれる。アスベストの吸引から20~60年という長い潜伏期を経て発症するからだ。激しい胸の痛みやせき、息切れなどの症状が出て死に至る。特効薬はなく、完治する治療法は確立されていない。 アスベストは安価である点に加え、耐火性、断熱性、防音性、絶縁性などの機能があるため、主に戦後、建築材などに使用された。クボタ旧神崎工場では1954年に石綿水道管の製造を開始。その後、石綿を使った外壁材や建材を手掛け、95年に関連製品の取り扱いを終えた。 被害を訴えた周辺住民に対し、クボタは2006年4月に周辺住民への救済金制度を創設した。救済金は2500万~4600万円。それに患者として認定する「基準」が設けられた。変遷を経て、現在は①工場が石綿を使用した54~95年の間に1年以上、工場から1・5キロ以内に住居や通勤・通学歴がある②仕事などで石綿を扱っていない――というものだ。 混乱を避けるため、支払い請求の窓口は飯田さんの勤める尼崎労働者安全衛生センターに一本化された。市役所や病院から、飯田さんの元に次々と電話が寄せられた。 目の前の患者は救済基準に合致するのか。飯田さんはそれぞれの相談を聞いた上で、患者の経歴調査に乗り出した。待ってくれない時間 だがそれは…この記事は有料記事です。残り2097文字(全文3251文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>