毎日新聞 2025/7/7 07:15(最終更新 7/7 07:15) 777文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷楮山ヒロ子さん=原爆ドームと楮山ヒロ子の会の資料から 原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)を保存する流れをつくった、ある少女の言葉をご存じだろうか――。「あのいたいたしい産業奨れい館だけがいつまでもおそるげん爆を世にうったえてくれるだろうか」。1歳で被爆し、16歳で急性白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが被爆から14年後の1959(昭和34)年8月6日付の日記に残した言葉だ。 翌年に亡くなったヒロ子さんの初七日で、原爆ドームの保存運動をしていた「広島折鶴の会」の世話人・河本一郎さん=2001年死去=がヒロ子さんの母から日記を見せられた。これを契機に子どもたちと日記を読む集いを開催するなどの保存運動を始めた。Advertisement 当時は「惨事を思い出して苦しい」などと取り壊しを求める声もあった。広島市長が近い将来の取り壊しを発表したこともあったが、ヒロ子さんの日記をきっかけにした保存運動は次第に広がり、ついに65年に市長が方針転換して保存の意思を示し、翌66年には市議会が「保存は後世への義務」と決議をした。 ◇ 広島市平塚町で被爆し、その後府中町で暮らした楮山ヒロ子さんの資料などを展示する「府中町ゆかりの原爆資料展『未来へつなごう この思い』」が10日まで府中町本町の安芸府中生涯学習センターくすのきプラザで開かれている。企画した同町総務課の梶山睦生課長は「原爆の惨禍を訴える象徴としては『サダコの折り鶴』で知られる佐々木禎子さんが有名だが、ヒロ子さんも同様に広く知ってもらいたい」と話す。楮山ヒロ子さんの日記を元にした書と揮毫(きごう)した林幽桂さん=府中町本町で2025年7月7日午後2時4分、山田泰蔵撮影 会場では、ヒロ子さんの日記を元に、同町在住で毎日書道展審査会員の書家・林幽桂さんが揮毫(きごう)した書作品も展示する。林さんは「原爆を絶対になくさないけんという思いで、原文通り平仮名交じりで『げん爆』と力を込めた。ヒロ子さんのことを若い人たちがもっと知って、世界に伝えてつないでほしい」と話した。【山田泰蔵】【時系列で見る】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>