伊達公子×プロフェッショナル:肩書が増え「役割かな」 陸連100年の今、有森裕子さんが思うこと

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伊達公子×プロフェッショナル毎日新聞 2025/7/12 07:01(最終更新 7/12 07:01) 有料記事 2972文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷伊達公子さんと対談する有森裕子さん=東京都渋谷区で2025年6月10日、幾島健太郎撮影 「メダルは物でしかない」。伊達公子さんと有森裕子さんの対談の後編は、競技の先にある人生に話が及んだ。有森さんは対談後の6月下旬、日本陸上競技連盟の会長に就任。スポーツを通して伝えたいこととは。 前編 片方のコンタクト落としバルセロナ銀 有森裕子さんが見えたもの 伊達 今後のオリンピックで、アスリートの目指すゴールはどこに向かうんでしょうか。 有森 本当に未知。今、オリンピックそのものが「はてな」だから。オリンピックはなんぞやっていうと、平和の祭典であり、個々の高め合いであり、認め合い。それが、メダル数を国で争い、停戦もできない、参加できない国もある。 伊達 テニスは1988年のソウル(五輪)からプロもOKになりました。(当初はトップ選手が勢ぞろいしなかったが)だんだんテニスの中でも位置づけが変わりました。 有森 プロはオリンピックに来ない時代があって、バルセロナで初めてアメリカのプロバスケが入ってきて、「ドリームチーム」だと騒がれました。 伊達 私も選手村で一緒に写真を撮りました。「すごい選手なんだよ」と言われて。 有森 プロとアマチュアで分けられていたけど、私たちアマチュアだって朝から晩まで走っているのに、これはアマチュアなのかと思っていました。私は96年にプロ宣言しましたが、当時は日本オリンピック委員会が肖像権を管理しており、アマチュアは個人でスポンサーをつけて商業活動をすることに制限がありました。おかしいと思って石を投げました。 伊達 そういう発想はどこからくるんですか。 有森 もともと、走ることを通して生きていきたいと思っていました。走ることが好きというより、手段に使っていました。サッカーのJリーグが始まったのが93年で、私と同じ年の三浦知良さんがサッカーで食べていってる。何で私たちはそれができないのかと思いました。「柄じゃない」けど自分の役割 伊達 陸連の役員の仕事はどうですか。 有森 本当はそういう「柄じゃない」のよ。組織の肩書とかいらない。現場が楽しいし、教えてて楽しい。でも、そろそろ年代的にも(自分の)役割か…この記事は有料記事です。残り2094文字(全文2972文字)【前の記事】片方のコンタクト落としバルセロナ銀 有森裕子さんが見えたもの関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載現在昨日SNSスポニチのアクセスランキング現在昨日1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>