2カ月ぶりの対面日、空襲の犠牲になった母と妹 81年経て刻銘

Wait 5 sec.

毎日新聞 2026/6/5 12:15(最終更新 6/5 12:15) 有料記事 1698文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷店番をする電気店で、母の形見のはがきを手にする中田道子さん=神戸市中央区で2026年4月9日午前11時54分、山本真也撮影 終戦約2カ月前の1945年6月5日、家族と離れて戦火から避難した10歳の少女は、2カ月ぶりとなる母と妹との対面を待っていた。だが2人は現れず、後日、ちょうどその日にあった空襲で犠牲になったと知らされた。少女は90歳になり、7日、2人の名前を慰霊碑に刻んでもらうことにした。「2人が生きた証しを残せる」。母の形見のはがきには妹と避難できる場所を懸命に探していると綴(つづ)られていた。6歳で米と開戦、父は中国へ出征 神戸市中央区の中田道子さん(90)は1935年に3人姉妹の次女として生まれ、三宮に近い木造の文化住宅で育った。2歳になった年に中国との戦闘が始まり、6歳の時に米国と開戦。父は徴兵されて中国へ出征した。 45年2月から米軍による神戸への無差別空襲が始まった。極めて高温で燃える油が爆発とともに飛び散る焼夷(しょうい)弾が火の雨となって降り注ぎ、同3月17日には神戸市の西半分を焼失させる最初の大空襲があった。 同4月、中田さんが通う国民学校(小学校)でも高学年は、現在の加東市の農村に全員で避難する「集団疎開」をすることになった。中田さんは2学年上の姉と疎開し、母の長橋喜佐代さん(当時31歳)と妹、靖子さん(当時5歳)は自宅に残った。 2人とはその後会えていなかったが、同6月5日、面会が許され、中田さんは…この記事は有料記事です。残り1137文字(全文1698文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>