「人間展示」という負の歴史 戦前の博覧会であった民族差別

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東京五輪・パラリンピックと大阪・関西万博で披露されたアイヌ舞踊公演で着用された衣服。右は制作の経緯などを解説する国立アイヌ民族博物館の川上さやか研究員=千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で2026年10月5日午後3時24分、小林多美子撮影 人間が「展示品」にされた時代があった。第二次世界大戦前、国内で開催された博覧会で、アイヌ民族の人々らが生活する様子を来場者に観覧させる「人間展示」が実施されていた。 博覧会は当時も、最新の産業や技術を発表する場だった。だが、少数民族や植民地の人々を「文明」と対比する「未開」の存在として見せ物にしていた負の歴史も持つ。 アイヌの人々は、博覧会とどう関わってきたのか。現代の万博まで連なる歴史をたどる企画展が開催されている。産業や文化を広く伝える場で 企画展は「アイヌ民族と博覧会―150年の経験―」。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で、11月29日まで開かれている。北海道白老町にある国立アイヌ民族博物館と共催で、北海道では6~8月に開かれた。 博覧会は19世紀後半から欧米で、産業や文化を広く伝える場として盛んに開かれるようになった。日本でも明治維新後の近代化政策を進める中、「富国強兵」や「殖産興業」の一環として取り組まれた。 アイヌに関する展示は、1872(明治5)年に当時の東京府で開催された湯島聖堂博覧会に初めて出品された。楽器や民芸品が並んだという。 国際博覧会で人間展示が登場し始めたのは89(明治22)年。フランスのパリ万博だった。列強の進出を受けた植民地の人々が「展示」された。 そして1903(明治36)年、国内の博覧会で初の人間展示が実施された。大阪市であった内国勧業博覧会の「学術人類館」という施設で、アイヌや沖縄出身者、朝鮮人、台湾の先住民族らが見せ物にされた。 沖縄では抗議が起き、民族差別があらわれた出来事として「人類館事件」と呼ばれている。先進的な考えの学者が差別に加担 なぜ多くの人が見ている前で、このような民族差別をしていたのか。…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】「ポノはお兄ちゃん」 難病ママ支える介助犬、育児はじめました関連記事