=鈴木紫門撮影 かつてマンガは「悪書」と呼ばれていた。 そんな「当たり前」に疑問を抱いた少女は、悔しさをバネに16歳で鮮烈なマンガ家デビューを飾った。『天上の虹』などで知られる里中満智子さん(78)はそれから60年あまり、歴史や愛をテーマに500作を超える作品を世に送り出してきた。 「マンガは感動を与えてくれ、時に行動の規範になった」 仲間の権利を守り、後進を育てようと行動してきた原動力には、マンガへの強い情熱がある。{ 各界で確かな足跡を残してきた方々に、人生という旅について語っていただく新連載「InMyLife・旅の途中で」。第4回に登場いただくのは、漫画家の里中満智子さんです。}「団塊の世代」で育ちパワフルに <現役女子高生のデビューは話題を呼び、その後花開く女性マンガ家たちに大きな影響を与えた> 私がデビューしたことで、職業の選択肢にマンガ家を入れていいと気づいた、と同年代の同業者たちに後から言われました。周りが大人ばかりだったので、同じ世代が後に続いてくれた時はホッとしました。若いころは互いに自分が描きたいものや、あなたならこれがいいんじゃないかと話し込み、長電話もしました。 今も生き残っているのは我が道を大切に生きてきた人。「怖いものなし」に見せないとやってこられなかった部分もあると思います。仲間たちとは若いころは仕事の話をしていましたが、近年は健康の話が増えました。 <「団塊の世代」で1948年生まれ。大阪市で育った> 調理師の父と、父に一目ぼれして結婚した母、3歳年下の妹の4人家族です。通った公立の小学校では1クラス70人以上、1学年10クラス以上あったので、校舎の中は子どもたちでひしめき合っていました。おとなしくしていたら誰も気づいてくれない。仕方がないから一生懸命言いたいことを言うようになりました。私は結構パワフルに思われるけれども、育った環境のせいだと思います。 当時の女性の仕事といえば、音楽や家庭科の教師、電話交換手、エレベーターガールという感じで、花形は客室乗務員でした。結婚したら、専業主婦になるのが当たり前の時代です。 マンガ家になりたいと思ったのは物語を考えたり、絵を描いたりするのが好きだったから。でも何よりも、マンガが読み捨てられ、不当に差別されていたことへの悔しさからでした。「このままじゃ滅ぼされる」と危機感を持ち、マンガのために何か役に立ちたいという思いがありました。 <学校では「人は見かけで判断しないように」と教えられるのに、マンガはマンガであるだけでくだらないと決めつけられた> 私が小学4年生のころ、マンガを「悪書」として追放する運動が広がりました。マンガは字が少ないから、…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【次の記事】マンガ家・里中満智子さん「30分の1も描けてない」自分に発破【前の記事】笑いの面積を広げて イッセー尾形さんの時代との向き合い方関連記事