InMyLife・旅の途中で:マンガ家・里中満智子さん「30分の1も描けてない」自分に発破

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寝る間もなく働いていた20代のころの里中満智子さん 今年7月、世界文化遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」。その舞台の一つ、藤原京を築いた持統天皇をはじめ、「考えるヒロイン」に光を当て、その苦悩や強さを丁寧に描いてきたマンガ家の里中満智子さん(78)。創作活動だけでなく、マンガ業界の発展に尽力をし続ける根底には、マンガ家の原点にも通じる揺るぎない思いがありました。 前編:「マンガは悪書」の差別に奮起 里中満智子さん60年の情熱「学園ラブコメ作家」になっちゃう? <1964年にデビュー後、連載が打ち切られて生活が苦しい時期もあったが、「考えるヒロイン」を描くことにこだわった> これまでの少女マンガでは、喜怒哀楽を前面に出すヒロインが山ほどいました。現実では泣けば終わり、ではありません。だからその感情に至るプロセスを描きたいと思っていました。「考えて決断する」までがクライマックス。でもいつも編集者には「理屈っぽいから、はしょって」と言われていました。 連載が途切れ、編集部から「読み切りネタを2、3本持ってきて」と言われた時は、5、6本持って行くようにしていました。暗く、社会性のある自分独自の視点を持ったものを描きたかったのですが、編集者に言われて描いた学園ラブコメが受けてしまい「このままでは学園ラブコメ作家になっちゃうのでは」と生意気にも焦ったこともあります。でも後から読み返すと結構面白くて。私は根が暗いから、このくらいがちょうど良かったのかもしれません。 <72年に『週刊少女フレンド』(講談社)で連載を始めた『あした輝く』は、終戦直前の旧満州(現中国東北部)から戦後日本を生き抜いた男女の愛の物語。単行本は全4巻で累計100万部を超え、当時としては異例の売れ行きだった> 私は歴史が好きなんですが、興味を持ったきっかけは、歴史上に女性の名前があまり出てこないからです。女性は何をしていたのか疑問を持っていました。 連載はちょうど日中国交正常化のころ。戦後生まれの私たちの世代は、必然的にどうしたら二度と戦争をしなくてすむかを考えてきました。戦争に行った男性が極限の厳しい状況でも、生きて帰る意欲を失わなかったのは家族や妻の愛があったからだと思うのです。どうしても描きたいテーマでした。出版社からは地味だと嫌がられましたが、読者には受けが良かったです。 73年に『週刊少女フレンド』でスタートした『アリエスの乙女たち』は思いっきり、理屈をこねくり回しました。異母姉妹のそれぞれの恋愛模様を描いたものですが、これに限らず、私が描く物語の女性たちは割とすぐ妊娠します。「ちょっとした気まぐれで、そういうことをする…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】「マンガは悪書」の差別に奮起 里中満智子さん60年の情熱関連記事