毎日新聞 2026/6/19 07:45(最終更新 6/19 07:45) 有料記事 1051文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷空襲で亡くなった母マサコさん(手前左)、姉洋子さん(手前右)の遺影を見せながら記憶を語る山本明子さん=大牟田市の自宅で2026年6月16日午後、降旗英峰撮影 「空赤く燃えひろがれど壕(ごう)の中 寄れる亡骸(むくろ)を見きわめ難し」 福岡県大牟田市にある「大牟田空襲の碑」には、米軍による1945年6月18日の大牟田空襲で妻子3人を亡くした同市の教員でアララギ派歌人の山本和夫さん(1901~68年)の短歌が刻まれている。 和夫さんの三女で同市の主婦、山本明子さん(87)は「母と弟は頭をやられ、姉は顔がグシャグシャ。胸に縫い付けた名札ともんぺの柄で本人と分かった。80年以上たっても脳裏に残っています」と振り返った。少し遅れて避難した途端に 明子さんによると、和夫さん一家は当時、市中心部に明子さんの祖母ら3世代7人で暮らしていた。そして同日未明、空襲警報に従い、一家は自宅近くの木枠に土を盛った町内の防空壕(ごう)に避難した。明子さんは和夫さんにおぶわれ、祖母、長姉と4人で壕の出入り口付近にいた。 一方、弟和之さん(当時3歳)をおぶった母マサコさん(同39歳)と次姉洋子さん(同13歳)は、もう一方の出入り口付近に少し遅れて避難した途端…この記事は有料記事です。残り608文字(全文1051文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>