毎日新聞 2026/7/2 06:45(最終更新 7/2 06:45) 有料記事 1716文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ミッドウェー海戦で撃沈された空母「蒼龍」 戦後81年の夏だ。なぜ多くの人が塗炭の苦しみを味わうことになったのか、歴史に学びたい。首や手足が吹き飛ぶ殺し合いの実相だけでなく、エリート集団だった「軍部」とその現場首脳たちの思考を知ることもまた重要である。 太平洋戦争は1941年12月8日に始まった。日本海軍の連合艦隊が航空母艦(空母)6隻を基幹とする機動部隊でハワイ真珠湾の米太平洋艦隊を奇襲攻撃し、この戦争が航空戦になることを実証した。ただし米空母は真珠湾にいなかった。翌42年4月、米機動部隊が敢行した日本本土の空襲に当時無敵の連合艦隊は衝撃を受け、防衛ラインの拡張に乗り出す。ハワイ・ホノルルの北西約2000キロに位置するミッドウェー島を攻略し、米空母群を遠方から誘い出して撃滅することを狙った。大艦隊を差し向け、同年6月にミッドウェー海戦が生起する。保阪正康著「あの戦争は何だったのか」(新潮新書)には<その日、東京の軍令部では(略)祝宴を張る用意もすっかり整っていた>とある。 以下、戸部良一ほか著「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」(中公文庫)などに拠(よ)る。兵力量でも練度でも劣勢だった米海軍はかねて日本海軍の暗号の解読に取り組み、日本側の企図や部隊編成、攻撃日時をつかんでいた。動かせる3隻の空母をかき集めてミッドウェー島付近に配備、日本空母を奇襲すべく待ち構えていたのである。 決戦は6月5日だった。「赤城」「加賀」「飛龍(ひりゅう)」「蒼龍(そうりゅう)」の主力空母4隻を擁する日本の第一機動部隊は早朝、108機を発進させミッドウェー島基地の空襲を開始。同時に、米空母の存在に備え7機の索敵隊も飛ばした。だが機動部隊司令部は、付近に米空母はおらず、その出現は島の攻略後になるとの先入観にとらわれており、島への第2次空襲を準備させた。そこへ重巡洋艦「利根」が放った索敵四号機から…この記事は有料記事です。残り938文字(全文1716文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>