テラ・クライシスインタビュー 佐久間一輝毎日新聞 2026/7/8 16:00(最終更新 7/8 16:00) 有料記事 2253文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷インタビューに答える小長啓一・元通産次官=東京都千代田区で2026年5月15日、仲間礼撮影 ホルムズ海峡の事実上の封鎖による原油調達の難航を、50年あまり前の危機と重ねた人がいる。 エネルギー政策を担当する旧通商産業省の事務次官を務め、1973~74年の第1次石油危機の時には田中角栄元首相の秘書官として政府の中枢で対応に当たった小長啓一さん(95)だ。 トイレットペーパーが買い占められる混乱を経験しながら今も原油輸入量の9割を中東に依存する理由や、今につながる教訓を聞いた。【聞き手・佐久間一輝】 <9割を超える中東依存度の背景に迫り、今後の展望を考えます> ・脱ホルムズの行方 「油をくれ」だけで進まなかった交渉の切り札 ・いきなり超低減は非現実的 脱ホルムズで石油元売りが語る本音「どうしたらいいか分からない」 ――第1次石油危機では、中東の産油国が原油の減産や禁輸措置を打ち出し、価格が高騰しました。当時、日本の政府内ではどんな議論があったのでしょうか。 ◆今まで、全く経験のない初めての出来事でした。(石油危機のきっかけとなる第4次中東戦争の勃発を)聞いた瞬間、秘書官としての仕事が手につかなくなった、というのが率直な感覚です。 私は通産省の出身です。あの時、通産省の元同僚に「これから、どう対応しようとしているのか」と電話をしましたが、彼らもまだ「どうしたらいいか分からない」という返事でした。 担当の官庁がそういう状態だったから、他の省庁も推して知るべしだったわけです。 田中首相には「官邸主導でやらなければいけませんね」と提言しました。 ――石油危機を受け、国内では原油が備蓄されるようになりましたね。 ◆(当時、備蓄制度がない中で)田中首相から「備蓄はどうなっているのか」と尋ねられ「今、アラブから日本に来ているタンカーに積んである分、それが備蓄です」と答えたのを覚えています。 備蓄をきちんとやることを考えなければいけないというのが、石油危機の教訓です。 備蓄について議論しなかったわけではなかったのですが、備蓄基地を整備しようとなるとお金がかかります。 それまで中東の国々が特に不安定というわけでもなく、原油を安定的に日本へ供給してくれていました。 備蓄という考え方は当初、まだ優先順位が高くなかったのです。 第1次石油危機を経て、原油タンカーが途中で止まったら石油が来なくなるということを実感しました。中東依存度の高さ、問題意識あった ――2度の石油危機を経て、原油の中東依存度は一時的に下がりましたが、なぜ再び上がったのでしょうか。 ◆中東依存度が高いという問題意識は、昔もありました。中東以外で供給先の多角化を図ろうと、東南アジアやオーストラリア、それから中南米のベネズエラ、メキシコから輸入できないか検討したんです。 …この記事は有料記事です。残り1123文字(全文2253文字)【前の記事】いきなり超低減は非現実的 脱ホルムズで石油元売りが語る本音関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>