マリー・ロジエ監督の「我がメーキャップを喰らえ!」 映像を作り、発表することが誰でも簡単にできるようになった。ネットミームから始まった「バックルームズ」が世界的に大ヒットし、ウェブ漫画の「ちいかわ」は国民的映画になった。新海誠監督のように1人でパソコンで作ったアニメが劇場公開され、やがて世界へ羽ばたく成功物語も夢ではない。「劇映画」「商業映画」の間口が飛躍的に広くなった一方で、今なお「実験映画」は世界中で健在だ。新しく自由な映像表現を追求する作り手が、続々と生まれている。 今年40回を迎えた「イメージフォーラム・フェスティバル(IFF)」は、日本における実験映画の牙城だ。主催するイメージフォーラムの映像研究所は、設立50年。門脇健路・IFFディレクターに、現在における実験映画の意義、目指すところについて寄稿してもらった。Advertisement40回迎えた「フェスティバル」 「イメージフォーラム・フェスティバル」は1987年、「映像の新しい時代を生き生きと伝えるために、そして映像文化の未来の豊穣(ほうじょう)を願って」(当時のパンフレットより)スタートした。これまで、実験映画や個人映画をはじめ、商業主義に染まらず、新しい映像表現を開拓する作品を上映してきた。 また、コンペティション部門では映像作家への登竜門として、山村浩二、河瀬直美、大木裕之、石田尚志など、多くの映像作家や表現者を輩出している。 40年の間に、映像をめぐる環境は大きく変化した。映画館かテレビくらいしか映像に触れる場がなかった当時に比べ、インターネットを筆頭に、街中のサイネージ広告や電車やタクシーの中まで、あらゆるところに映像があふれている。さらにそれらは人の目を引くよう、さまざまな演出が凝らされている。 芸術分野でも映像を使うことが浸透し、近ごろは美術大学の油画や日本画、デザインなどの学生も、卒業制作で映像を使うことが当たり前になっているようだ。これも映像が最も身近な表現手段となったことの証しといえるかもしれない。 個人による映像作品を上映、配給するという目的でイメージフォーラムが創設された当時は、「詩人が1本のペンで詩を書くように、映像作品が手がけられたら……」という理想があったのだが、いまや誰もがスマートフォンやデジタル技術を使って、自分の作りたい映像を作ることができる。その意味では、理想は実現されたのかもしれない。ルールに沿って作られていないか しかし「映像を自由に作れる」ことと、「映像表現そのものが自由になる」のは同じではない。むしろ、個性的な映像は以前より少なくなり、ある種の「ルール」に沿って作られた映像が増えているような印象もある。「イメージフォーラム・フェスティバル2026」のポスター 短い時間で効率よく内容を伝え、分かりやすく、見やすく……。しかし、その傾向は映像が本来持っている力まで、弱めてしまうことにはならないだろうか。 すぐには意味を理解できなかったり、ほとんど何も起こらないように見えたり、一見退屈に思えたりする作品でも、観客の記憶に強い印象を残すことがある。時にはそういった作品に人生を変えられてしまうことも……。 しかし、映像が「分かりやすさ」や「見やすさ」、「効率よく伝えること」に最適化されていくと、そうした力を発揮する余地がなくなってしまう。 しかも、作り手はひとりひとり違うはずなのに、いつの間にか似たような表現へと流れてしまう。誰かが見つけた効果的な方法が共有されることは映像表現の発展に違いないが、一方で、画一化によるジャンルの停滞を呼び込むことにもなる。 だからこそ、自分にとってどのような映像表現がふさわしいのかを探すことを、映像作家は諦めてはいけない。 実験映画や個人映画とは、単に奇抜な映像を指すものではない。映像はこう作るのだ、こう見るのだといった前提を疑い、作者自身にとって必要な表現の方法を探すこと。 そして、その試行錯誤を通じて、表現の根源となる、ものの見方を見つめ直し、まだ知られていない映像の可能性を見つけ出すことに存在意義があるのではないだろうか。コンペ25作にアジアの今 今回の「イメージフォーラム・フェスティバル2026」では、そうしたさまざまな映像のあり方を見ることができる。 コンペティション部門である「東アジア・エクスペリメンタル・コンペティション」では、25作品がノミネートされた。独自のコンセプトや問題意識を持つ多様な作品が結集し、まさに東アジア地域の“今”を体現する、このフェスティバルならではのプログラムとなった。また、今年よりコンペ内に「ジャパン・エクスペリメンタル」部門を設け、新たな日本の才能を紹介する。 招待部門「エクスペリメンタル・パノラマ」では、「氾濫(はんらん)する映画」というテーマのもと、既存の映画の枠から逸脱する力を持つ映像作家や作品を紹介する。 まず、コンペ部門の審査員でもあるマリー・ロジエ。型破りなミュージシャンや実験映画作家など、彼女が撮影する人物自体が既存の枠をはみ出した存在である。ロジエは彼らを単純に記録するのではなく、遊戯的、演劇的、身体的なパフォーマンスを通じてイメージを増幅させ、個人の横溢(おういつ)するエネルギーを映画に収めていく。60年代の革新 金井勝全作品 「フィルムメーカーズ・イン・フォーカス」部門では、4月に89歳で亡くなった金井勝の全作品を上映する。金井勝の「無人列島」 既成の映画の形式や常識に収まることなく、現実と幻想、フィクションとドキュメンタリーを自由に横断。国境も越えて妄想を飛躍させていくスケールの大きさは日本の個人映画において唯一無二の存在であろう。 常に見る者を驚かせる仕掛けを考え、自己模倣を禁じて観客に勝負を挑む金井の姿勢は、現在ちまたにあふれる飼い慣らされた映像とは一線を画すものだ。 その他、60〜70年代に革新的な映像表現を追求しながら、これまで世界的には十分に知られてこなかったユーゴスラビアの実験映画の歴史的作品や、メキシコの反植民地主義を掲げて活動する“ロス・イングラビドス”の作品を紹介する。 ここではさまざまな国や地域において、それぞれの社会や歴史に応じて映像の独自性が醸成されてきたことが見えてくるだろう。 「幻視の21世紀」では、3DCGやAIなど、急速に変化するデジタル技術と“実験映画”の接点を探る。 人間の知覚を介さずに映像を生成することさえ可能になった現在、映画はいったい何を映すのか。実験映画の問いは、さらに先へ進んでいく。誰にでも作れる時代だからこそ また、東京会場のみの上映ではあるが、今年50期を迎えるイメージフォーラム映像研究所の卒業制作からセレクトされたプログラムも上映する。 撮影技術を学ぶだけなく、他人にできない映像表現を目指す表現者を育成する場であったこの研究所では、50年の間に既存の映画の形式から逸脱した多くの作品が制作されてきた。イングラビドス作品集の「狂乱の大地」 受講生それぞれが自分は何を作りたいのか、どのように映像を作るのかを模索することそのものが、ここでの学びなのだといえる。 近年はイメージフォーラム以外でも、国立映画アーカイブの「アンソロジー・フィルム・アーカイブス特集」や下高井戸シネマでの「実験映画を観る会」など、実験映画や個人映画の上映が多数行われ、若い観客にも注目されているようだ。映像の量的な氾濫の一方で、個人に寄り添った映像感覚が共感を得ているのかもしれない。 人はひとりひとり異なる感性を持っている。映像を作ることが誰にでも開かれた現在だからこそ、既存の方法論に自分を合わせるのではなく、自分自身に合った表現を探し続けることが重要なのではないだろうか。 身近なツールとなった映像の力を最大限に生かすために、現在においても実験映画の精神がそこに必要とされている。今後もイメージフォーラム・フェスティバルではそうした作品の紹介を通じ、より多様で豊かな映像文化の姿を模索していきたいと考えている。(門脇健路) イメージフォーラム・フェスティバル2026は、9月19~25日、東京都渋谷区のシアター・イメージフォーラムなど。その後、京都・出町座で10月16~22日▽名古屋・ナゴヤキネマ・ノイで11月7~13日▽広島市映像文化ライブラリーで同24~29日▽福岡市総合図書館映像ホール・シネラで12月9~13日。詳細は公式ホームページ。