「平行と垂直」Ⓒ2026「平行と垂直」製作委員会 「平行と垂直」と「時には懺悔を」は、共に「障害」をテーマにしている。前者は切なくもユーモラス、後者は重く濃厚な人間ドラマだ。内容は対照的だが、重なり合うものを感じる。私自身、精神障害者の人々と交流していた体験を思い起こした。「受け入れられない」苦悩の深さ 30年ほど前から10年ぐらい、精神障害について学び、当事者と親交を深め支援する会に参加していた。友人が心を病んだことをきっかけに、精神障害のことを知りたいと思ったからだ。Advertisement 定期的にカフェで当事者と会話を楽しみ、レクリエーションを行うなどした。また、福祉関係者の話を聞き、当事者だけではなく家族がいかに苦労しているかを知った。 会員の中にも当事者の家族は多くいた。ある母親のことが忘れられない。彼女は自身も心と体を病んで、キリスト教を信仰していた。とても親切で良い人だったが、気になることがあった。 息子は絵がうまい、といつも自慢するのだ。それを良く思わない仲間もいた。しかし、私は彼女が痛ましかった。自分の息子には障害がある代わりに、芸術的才能がある。そう思い込むことで、かすかな光にすがりたかったのではないだろうか。 母親自身が「心の底では息子の障害を受け入れられない」と言っていて、苦悩の深さがうかがえたのである。迷惑かけてもいいじゃないか 「平行と垂直」は自閉スペクトラム症の大貴(安田章大)と妹の希(のん)の物語だ。大貴は清掃の仕事に就き、グループホームを出て自立している。希はカウンセラーとして働き、人々の話に耳を傾けている。互いを思いやって生きる2人の日常が丁寧に描かれる。「平行と垂直」Ⓒ2026「平行と垂直」製作委員会 とりわけ印象に残ったシーンがある。大貴は障害のせいで、気持ちをうまく言葉で表せない。そのため、思わぬ誤解を受けて騒動を起こしてしまう。警察に連れて行かれて、厳しい言葉を投げつけられる。「人に迷惑をかけるなら、グループホームに戻れ」 グループホームの所長で、兄妹を見守ってきた吉川(福田転球)は問い返す。「この世に迷惑をかけないで、生きている人間がいるんですか?」と。 瞬間、あるドラマを思い出した。1979年にNHKで放映された「男たちの旅路」の一話「車輪の一歩」だ。脚本家、山田太一の代表作である。 主人公の警備員(鶴田浩二)は車いすの若者たちと出会う。障害があるゆえに周囲に遠慮して、街に出られない彼らの一人(斎藤洋介)に言う。「迷惑をかけてもいいじゃないか、不自由なルールは破ればいい」「大貴を理解したい」成長のきっかけに 日本では昔から、人に迷惑をかけるなと言われる。素晴らしい美徳だ。一方で、それが世の中を窮屈にしていると思う。障害の有無に関わらず、誰もが互いに迷惑をかけ合って生きている。 大貴と希がじゃんけんをして「おあいこ」と言う場面が何度か出てくるが、そう、みんな「おあいこ」なのだ。「平行と垂直」Ⓒ2026「平行と垂直」製作委員会 そして、希は幼い頃、大貴が急死した母親の代わりに卵焼きを作ってくれたことを思い出す。大貴を「お荷物」と思うこともあったが、自分も大貴に支えられていたと気づく。 それを如実に感じさせるのは、カウンセラーとしての希だ。彼女がこの仕事を選んだのは、大貴の内面を理解したいという思いからだった。希は大貴と対峙(たいじ)することで、傷つきながらもさまざまな感情を体験して、相談者の悩みに深く寄り添えるようになっていく。 大貴の存在が彼女の成長を促して優れたカウンセラーに育て、別な人間の助けへとつなげるのだ。不思議である。 それをより強く感じさせるのが「時には懺悔を」だ。親だけに責任を押し付ける社会 一匹おおかみの探偵、佐竹(西島秀俊)は、元同僚の米本(佐藤二朗)の殺人事件を調査することになる。助手は見習いの聡子(満島ひかり)だ。調べを進めるうちに、民恵(黒木華)という女性が、米本に息子の捜索を依頼していたことが分かる。「時には懺悔を」Ⓒ2026 映画「時には懺悔を」製作委員会 息子は重度の身体障害児で、生まれたばかりの9年前に誘拐されていた。民恵の孤独と悲しみが胸を刺す。彼女は障害児を産んだことで、夫からつらく当たられる。 「親だから責任あるって言うの?」。民恵の言葉が重くのしかかる。以前、NHKのドキュメンタリー「おうちへ帰ろう 障害のある赤ちゃんの特別養子縁組」を見た。タイトルが示すように、実親が育てられない障害児の里親を探す牧師の姿を追った番組である。 研究者によると、わが国では親だけに育児を負わせる規範や自己責任論が根強くあり、大きな圧力になっているという。 「平行と垂直」でも、大貴は警官から「あんた、自分の責任持てるのか」と怒鳴られる。 私は、曽野綾子が著書「大説でなくて小説」で、ダウン症児について書いた一文が記憶に刻まれている。 「それはその赤ちゃんが、他の子に代わってその運命を引き受けたことになる。だから私たちすべては、その子の存在に関して責任がある、と考えるべきなのだ」「時には懺悔を」Ⓒ2026 映画「時には懺悔を」製作委員会 その通りだ。親だけに責任を押しつけるのではなく、周囲の人々や地域社会が彼らを助けて一緒に子どもを育てることは不可欠だろう。「本当は新から元気をもらっているんだ」 佐竹と聡子は、米本が死ぬ間際に明野(宮藤官九郎)という男に会っていたことを突き止める。彼は重い障害のある新(しんすけ)と2人で暮らしていた。 明野は妻が事故死してから、自分が新の介護をしなければならなくなり、彼を厄介者扱いしていた。しかし嫌々世話するうちに、いつしか新が心のよりどころになっていく。それぞれ問題を抱える佐竹と聡子も、新に関わることで大きく変わる。 自分では動くことのできない新が、周囲の人間たちを動かしていくのが不思議だ。「時には懺悔を」Ⓒ2026 映画「時には懺悔を」製作委員会 一般的に障害者は「弱者」と呼ばれる。果たして本当にそうなのだろうか? 私自身、精神障害者の人々と交流していて、反対に救われたことが幾度かあった。 悩みを聞いてもらい、「そんなに気にしていたら、僕たちみたいに心の病気になっちゃうよ」と慰められて、大笑いしてしまったこともある。 明野は民恵とは対照的に、息子を人目から隠さずに通院して、他の障害児や家族たちと明るくあいさつを交わし励まし合う。 「みんな、新に『頑張って』って言うけど、本当は新から元気をもらっているんだよ」と笑う。ダメ男だがどこか憎めない風情と相まって、その言葉が心に残る。重い問いを突きつけながらも、強い生命力を感じさせる作品だ。 二つの映画を見てから、精神障害者交流会の母親のことを思い浮かべることが多くなった。会が無くなって久しいが、今どうしているのだろう。すこしでも幸せなことを願わずにはいられない。【早坂あゆみ】