母の延命祈る文も 「豊臣兄弟!」にちなんだ企画展開催中 滋賀

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毎日新聞 2026/9/19 08:15(最終更新 9/19 08:15) 655文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷水争いが絶えなかった芹川の古図面について説明する本田洋館長(奥)=多賀町四手で、伊藤信司撮影写真一覧 企画展「豊臣氏と多賀」が滋賀県多賀町四手のあけぼのパーク多賀(町立博物館)で開かれている。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」にちなみ、地元に残る豊臣秀吉と秀長の関連文書など17件を紹介している。 町内の多賀大社にある太閤橋、奥書院、庭園は秀吉の寄進米によって建てられたとされる。これを裏付ける「豊臣秀吉祈願文」(1588年)には、病気になった母大政所の回復を祈った秀吉が、多賀大社宛てに「命を3年、それが難しければ2年、それでもだめなら30日」と切実に訴える内容がつづられている。Advertisement母の延命を望み、多賀大社宛てに出した「豊臣秀吉祈願文」(写真パネル)=多賀町四手で、伊藤信司撮影写真一覧 成就した暁には1万石を奉納するとも書かれており、今回はこの祈願文を実物大の写真パネルで見ることができる。 湖東地域の扇状地では水流が地下に潜り込むため、古くから干ばつに苦しんできた。芹川沿いの久徳(多賀町)と下流の高宮(彦根市)間で水争いが起きた際の「羽柴秀吉朱印状」(1584年)は実物を展示。秀長が双方の主張を聞いて一旦は決着したが、再び争いが起きたため、秀吉が「高宮へ3分の1用水配分」と定めたものだ。 あけぼのパークの本田洋館長は「水利は命に関わるため、秀吉自らがこの朱印状を出したようです」と解説する。水争いを巡って出された「羽柴秀吉朱印状」=多賀町四手で、伊藤信司撮影写真一覧 このほか16世紀末の多賀と秀吉、秀長の関係が分かる年表▽芹川の井堰(いせき)(水を他へ引くため、川水をせきとめる所)や配水箇所の図面▽江戸時代に井堰工事に使った道具――なども並ぶ。 入場無料で10月4日まで。月曜と9月20、24両日は休館。問い合わせは多賀町立文化財センター(0749・48・0348)。【伊藤信司】あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>