真相・ニュースの現場からストーリー 安達恒太郎毎日新聞 2026/9/16 05:30(最終更新 9/16 05:30) 有料記事 1739文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷武石知華さんの写真を見せながら思い出などを語る母親(手前)と父親(奥)=2026年9月13日、和田大典撮影 沖縄県名護市辺野古沖で修学旅行中の生徒18人らが乗った小型船2隻の転覆事故は、16日で発生から半年となる。 亡くなった同志社国際高2年の武石知華(ともか)さん(当時17歳)の両親が毎日新聞の取材に応じ、「知華がいなくなった実感は今もわかない」と消えることのない悲しみを語った。今も好物のおにぎりを 父親は事故当時、インドネシアに単身赴任し、知華さんは高校がある京都府京田辺市で母親と2人で暮らしていた。両親は事故後、関東地方に移った。 母親は知華さんの好物だったおにぎりを、今も毎朝握り、仏壇に供えている。 「もうこんなに時間がたってしまったのかというのが正直な気持ち」 知華さんの写真や、事故当時身につけていたブレスレットを見つめる両親の目から涙があふれた。同志社国際に魅力感じ 父親の仕事の関係で、知華さんは2~11歳をインドネシアのジャカルタで過ごした。 幼いころは引っ込み思案。四つ年上の姉について回る子だった。 インターナショナルスクールでは日常会話に困らないほど英語とインドネシア語は上達した。 帰国後は中高一貫の同志社国際を選んだ。 先に帰国した姉が通っていたことが直接のきっかけだが、英語や留学に力を入れ、自由闊達(かったつ)な校風が魅力だった。 「宇宙に携わる仕事に就きたい」。高校1年の夏には米ハーバード大のサマースクールに7週間留学し、宇宙工学を学んだ。 「どんな洋服やネイルをつけて行こうかな」 修学旅行の出発前日、知華さんは母親に相談し、水族館やサンゴ礁を見ることを楽しみにしていた。 「辺野古移設」に反対する市民団体が運航する船に乗るとは、家族の誰も想像していなかった。冷たく傷だらけの体…この記事は有料記事です。残り1030文字(全文1739文字)【前の記事】ラグジュアリースイート?国税当局が目を付けた聖地・高野山の今関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>