対テロ戦争後の世界:米同時多発テロ 救助支えた男性、がん発症も補償外だった理由

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対テロ戦争後の世界深掘り 三木幸治毎日新聞 2026/9/17 07:00(最終更新 9/17 07:00) 有料記事 1174文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷同時多発テロで現場に駆けつけたミハエル・バナハンさん=本人提供 じっとしてはいられなかった。2001年9月11日朝。米ニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が衝突すると、ミハエル・バナハンさん(65)の電話も鳴った。ニューヨーク市矯正局の船舶部隊に所属し、島の刑務所を監視する業務にあたっていた。 「我々はテロ攻撃に遭っている。来られる船は現場に来てくれ」 行かないという選択肢はなかった。勤務時間外だったが、「自宅から出ないで」という妻の忠告も聞かず、現地に向かった。大量の粉塵 服は上から下まで灰色 港から見た光景は恐ろしかった。多くの人々が街からの脱出を目指し、集まっていた。既に2棟のビルは崩壊。空には大量の粉塵(ふんじん)が舞い、人々の衣服は上から下まで灰色だった。 バナハンさんは、港から隣のニュージャージー州まで船で絶え間なく行き来し、人々を運んだ。帰路には、現場に向かう消防隊員や警察官らを乗せ、一日数十回も往復する日々が1カ月以上続いた。 体の異変を感じたのは、約3年後だ。なぜかせきが止まらない。そのうち、のどに強い痛みを感じるようになった。05年2月、医者に言われた。「扁桃(へんとう)がんが見つかりました」◇政府は繰り返し「安全」主張 当時、政府やニューヨーク市は粉塵の危険性を周知せず、「安全だ」と繰り返していた。現場近くでは当局者らが長期間働き、近隣住民も自宅に戻った。「マスクは…この記事は有料記事です。残り589文字(全文1174文字)【次の記事】大気汚染「隠ぺい」した当局と未公開文書 テロ後の被害巡る戦い【前の記事】監視か、プライバシーか 「振り子のように」揺れる米テロ対策関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>