ストーリー 国本ようこ毎日新聞 2026/9/21 11:00(最終更新 9/21 11:00) 有料記事 1897文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷空襲があった那賀川鉄橋には当時の機銃掃射の跡が残っている=徳島県阿南市で2026年7月28日午後3時58分、国本ようこ撮影 「バリバリバリ」――。 耳をつんざくような銃声を、今も鮮明に覚えている。 空から降り注いだ無数の銃弾が走行中の列車を襲った。 天井は吹き飛び、座席は破壊され、車内は血の海と化した。 徳島県阿南市の原嘉久仁(よしくに)さん(89)はあの日、死を覚悟した。 「これは現実なのか」 消えることのない凄惨(せいさん)な記憶の中には、81年前の知られざる惨禍が刻まれている。河原から見た惨劇 1945年7月30日は夏の青空が広がっていた。 午後4時ごろ、小学生だった原さんは友人5人と、阿南市内を流れる那賀川の河原で釣りを楽しんでいた。 すぐ近くには旧国鉄牟岐(むぎ)線が走る那賀川鉄橋があった。全長472メートルの大きな橋りょうだ。 この日、上空では米軍機が飛来して空襲警報のサイレンが鳴り響いていた。 「もう帰ろう」 片付けを始めた、その時だった。 遠方から旋回してきた2機のグラマン戦闘機が低空で接近してきた。 鉄橋の上では、5両編成の列車が走行していた。 戦闘機は列車に向けて無数の銃弾を浴びせ、爆弾を投下した。 「もう雨あられ、列車はなされるがままだった」 大破した列車は立ち往生し、乗客の中には鉄橋から約7メートル下の川に飛び込む人もいた。 「自分も殺される」 原さんらは流れ弾を避けようと、近くの芋畑に必死で身を隠した。 攻撃は1度で終わらなかった。引き返してきたグラマン機が…この記事は有料記事です。残り1306文字(全文1897文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>