毎日新聞 2026/8/6 10:01(最終更新 8/6 10:01) 有料記事 1751文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷爆心地付近でガイドをする三登浩成さん=広島市中区で2026年7月8日、佐藤賢二郎撮影 原爆ドームに行けば会える人。三登浩成さん(80)=広島県府中町=が2006年夏、平和記念公園(広島市中区)のボランティアガイドを始めたのと同じ頃、私(記者)は広島に赴任した。 原爆ドームの前に立ち続けて20年。高校の英語教師だった三登さんが平和記念公園周辺でボランティアガイドを始めたのは2006年夏だった。原爆投下の3日後、母親が広島市内に入って被爆した時、おなかの中にいた胎内被爆者。来訪する外国人と対話を重ねてきた三登さんの姿から、ヒロシマと世界の「いま」が見えてくる。三登さんの活動が映画にも いつしか顔見知りになり、最初に三登さんを紹介する記事を書いたのは08年4月11日朝刊社会面(一部地域)だった。ガイドした人数が1万人を超えたことを伝え、「反核の輪 1万人に」の見出しがある。文末には「感謝の言葉に励まされる。案内した人に支えられている」という三登さんの言葉を付けた。 この20年間で私は故郷の広島に4度赴任した。大阪本社で平和報道を統括するデスクだった時期もあり、ヒロシマと関わりは切れなかった。三登さんとの縁も続いた。 SNSなどを通じて三登さんの活動は話題になり、外国メディアで報道され、ドキュメンタリー映画にもなった。海外からの招きもあったが、「この場所に来れば圧倒されるし、来る人たちには目的意識がある。ここから平和の種をまき続けたい」と離れようとしない。定点観測のように原爆ドームのそばからヒロシマと世界を見続ける三登さんに、私はことあるごとに話を聞いた。世界のリーダーに有言実行問う姿勢 国連事務総長だった潘基文(バン・キムン)氏が国連トップとして初めて平和記念式典に参列した10年。歓迎ムードに沸く中、三登さんは「核兵…この記事は有料記事です。残り1025文字(全文1751文字) 関連記事 原爆ドーム前に立ち20年 外国人12万人超に語ったヒロシマ 「絶滅決定種」の被爆者 ヒロシマからまき続ける「希望の種」関連記事【最新記事】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>