原爆ドーム前に立ち20年 外国人12万人超に語ったヒロシマ

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毎日新聞 2026/8/6 10:00(最終更新 8/6 10:00) 有料記事 1628文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷原爆ドーム前で外国人観光客に説明する三登浩成さん(右)=広島市中区で2026年7月8日、佐藤賢二郎撮影 原爆ドームの前に立ち続けて20年。高校の英語教師だった三登浩成(みとこうせい)さん(80)=広島県府中町=が平和記念公園(広島市中区)周辺でボランティアガイドを始めたのは2006年夏だった。原爆投下の3日後、母親が広島市内に入って被爆した時、おなかの中にいた胎内被爆者。来訪する外国人と対話を重ねてきた三登さんの姿から、ヒロシマと世界の「いま」が見えてくる。「この人、いつもいるな」 真夏の広島は午前中から強烈な日差しが照りつけている。7月28日午前8時過ぎ、いつものように自宅から自転車で約30分の道のりを走ってきた三登さんは、原爆ドームそばの遊歩道に説明用のパネル20枚ほどを並べた。自転車の荷台には「NO NUKES!(核兵器廃絶)」のシールが貼ってある。日本語と英語で「胎内被爆者」と書かれたネームホルダーを首にかけた。 「今日でちょうど20年だね」 06年のこの日、三登さんは原爆ドーム前に初めて立った。何人かに話しかけたのを覚えているという。 同じ年の春、私(記者)は郷里の広島に初めて赴任した。この人、いつもいるな――。原爆ドーム周辺に行くたび、同じ男性が外国人客を案内しているのが気になっていた。 そんな思い出をベンチに座って話していると、インド人の親子連れがスマートフォンを手に声をかけてきた。画面には、話を聞かせてくれる被爆者が公園内にいると日本語に翻訳した文章が表示されていた。 それは自分だと三登さんが答えると、父親が「You!」と感嘆の声を上げた。三登さんは持参した自作の資料を使って説明を始めた。英語で、原子爆弾の構造や破壊力、広島の被害状況、原爆投下に至る経緯、核開発の歴史、戦後の医学調査まで詳細に記してある。「平和の種をまいている」 外国人客からは、次々と質問が飛ぶ。…この記事は有料記事です。残り876文字(全文1628文字) 関連記事 「大切なのは広島を訪れた後」 原爆ドーム前から世界に問い続け 「絶滅決定種」の被爆者 ヒロシマからまき続ける「希望の種」関連記事【最新記事】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>