キャンパる:「原爆で苦しんだ祖父を忘れない」 共著に込めた日米子孫の思い

Wait 5 sec.

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で開かれた「被爆78年 ナガサキ原爆写真展」を訪れ、記者の質問に答えるアリ・ビーザーさん(左)と原田小鈴さん=長崎市で2023年8月9日 昨年7月、1冊の本が出版された。タイトルは「『キノコ雲』の上と下の物語 孫たちの葛藤と軌跡」(朝日新聞出版)。著者は、広島と長崎に原爆を投下した爆撃機それぞれに搭乗した故ジェイコブ・ビーザーさんの孫アリ・ビーザーさん(38)と、広島・長崎の両地で被爆した二重被爆者の故・山口彊(つとむ)さんの孫、原田小鈴さん(51)。原爆加害者と被害者の孫同士が出会い、13年の交流を経て刊行に至った。本に託す思いを2人に聞いた。【日本女子大・松村小春(キャンパる編集部)】原爆投下に2度かかわった日米の祖父 「まるでキノコ雲に追いかけられているみたいだな……」。三菱重工業長崎造船所の技師だった彊さん(当時29歳)は、メモにそう書き残した。1945年8月6日、彊さんは出張先の広島で被爆。ひどいやけどを負い、命からがら地元の長崎市へ戻ったが、9日に再び被爆した。小鈴さんによると、戦後、被爆者に対する差別や偏見は根強く、家族の猛反対もあり、彊さんは自身の体験について表明することを避けていた。静かに短歌で核廃絶を訴えるにとどめていたという。Advertisement しかし、原爆症によるがんで息子を亡くしたことを機に2006年、90歳になって自身の二重被爆という凄惨(せいさん)な体験を語り始めた。地元の中学校からニューヨークの国連本部まで、各地で原爆のむごさを語るとともに「アメリカ人が憎いのではない。戦争や核兵器が憎いのだ」と訴えた。93歳で亡くなるまで活動を続け、人類愛に根差したメッセージは国境を越えて人々の心を打った。 アリさんの祖父ジェイコブさんは、広島と長崎に原爆を投下した超大型爆撃機B29の両機にレーダー技士として搭乗した唯一の米軍人だ。アリさんによると、ジェイコブさんは戦後に取材を受けた際、原爆投下を「人間による人間に対する、世界で最悪の非人道的な行為」と呼んだ。謝罪や償いの言葉を求めるメディアに対し、「私たち軍人がやるべきことは償うことではなく、二度とこんなことが起きないようにすること」と訴えたという。「被爆78年 ナガサキ原爆写真展」の会場で、展示写真に見入るアリ・ビーザーさん(右)と原田小鈴さん=長崎市で2023年8月9日不安と戸惑いの対面 小鈴さんとアリさんが初めて出会ったのは13年7月。アリさんは映画製作や写真撮影も手がけるジャーナリストで、被爆者やその家族の証言を集める目的で11年から年に1度来日していた。その中で彊さんのことを知り、長崎市に住む、彊さんの娘である山崎年子さんのもとを訪れた。年子さんの娘である小鈴さんも同席した。 当時、メディアは日米の原爆にかかわる子孫の出会いを「日米の和解」「平和の象徴」といった分かりやすい美談として報じた。しかし双方の心中は、はじめから穏やかだったわけではなかった。 訪ねたアリさんは当時を「まるで壊れそうな橋に足を踏み入れようと、ちゅうちょしている人のような不安感の中で話した」と振り返る。一方で、母とともに訪問を受けた小鈴さんも手放しに「よく来たね」とは言えなかった。「なぜ戦後70年近くたった今、会いに来るのか。何がしたいのか」。原爆投下にかかわった米兵士の孫が会いに来ることに、正直困惑したという。 しかし小鈴さんは「もし祖父が生きていたら、と想像した」のだそうだ。「二重被爆者の祖父は『アメリカ人が憎い』とは一度も言わなかった。祖父なら彼のまっすぐな気持ちを尊重し、会って話を聞くだろう。彼に会うべきだと思った」アリ・ビーザーさんとの関係について「戦争を経験した者の孫として、望まずとも向き合ってしまったむなしさや、やるせなさをともに受け止めているから、気持ちが通じ合っている」と話す原田小鈴さん「寄り添う思い」が埋める溝 アリさんの真摯(しんし)な姿勢は、両家の間の緊張と複雑な思いを解かした。小鈴さんによると、アリさんは年子さんの話に真剣に耳を傾けるとともに、自らもずっと胸に秘めてきた「ぼくの祖父もヒバクシャだった」という真実を、ためらいながらも話した。ジェイコブさんは原爆投下機に搭乗したことにより被爆しており、放射線による病気で92年、71歳で亡くなった。 家を後にする時、アリさんは小鈴さんに「ぼくたちは同じ孫の世代ですね。重圧はたくさん感じています」と話しかけた。訪問後もアリさんからは誕生日に連絡が来たり、クリスマスには手紙が届いたりしたという。その中で年子さんの被爆の後遺症を心配するなど、いつも小鈴さんたちを気にかけていた。 「アリが私たちに寄り添う姿勢を見せてくれた。知れば知るほど言葉だけで終わらせず、行動が伴う人だと気付いた。同じ人間であり、心のある人だ」と感じたと小鈴さんは言う。一方のアリさんは「小鈴さんは、ぼくに祖父を否定することを決して求めなかった」と話す。原爆投下80年に当たる2025年に出版された「『キノコ雲』の上と下の物語」。アリ・ビーザーさんと原田小鈴さんは、限られた時間や文字数の報道では伝わらない思いや、葛藤を書き記す必要があると感じたことで、出版を決意したという本音で重ねた対話が本に 交流を深める中で、「2人の13年間を書き記すことがぼくたちの使命なのではないか」とアリさんから提案し、共著の出版に至った。同書は2部構成で、第1部では祖父たちの経験を、残されたメモや日記、貴重な資料の数々から改めて描き出し、孫たちの交流と共同作業が記されている。第2部には朝日新聞デジタルで連載された2人の往復書簡を収録した。互いに語り掛けるように書かれた手紙の数々は、原爆や戦争の話題でありながらもどこか温かく思いやりのにじむ文章だ。 出版にあたり、アリさんが執筆する英文の翻訳は、広島県在住の写真家、文筆家で平和活動にも携わる黒住奏さん(43)が担当した。小鈴さんとアリさんのやりとりを間近で見ていた黒住さんによると、2人の考え方が食い違うこともあった。小鈴さんは、アリさんに対してではないが、国家としての米国に対しては、被爆者に謝罪することを強く意識している。一方でアリさんは、今米国が謝罪をしたところでそれは空虚なもので、謝ることよりも今後どんな行動をするかが大事だと考えている。 それでも2人はその話題を決して避けず、真正面から本音を伝え合い対話を重ねた。決して同意を求めるのではなく、互いの意見を受け止めようと努めていた、と黒住さんは当時を回想する。 黒住さんは「本の出版を通して2人は家族になった」と話す。弱いところや情けない面もさらけ出し、まっすぐに対話する2人の交流は、人間らしさがにじみ出ているという。長崎で原爆がさく裂した時刻に黙とうするアリ・ビーザーさん。「武器の先にいる相手を『人間』と見るか『標的』と見るかを決めるのは、人の心だけ」と語る=長崎市で2023年8月9日戦争が残した傷を共有する「姉弟」 黒住さんが驚いたことがあった。普段黒住さんを介して対話をしていた2人が突然、通訳を介さずにそれぞれの母語で会話し始めた。「普通に考えてそれぞれの細かい意味とかは分かっていないと思うんです」。感性の深い部分が共通しているからだろうか。考えや感覚が根本的に通じ合っている瞬間を目の当たりにし、驚いたと語った。 小鈴さんは「アリは祖父のことを考える時、精神的に錯乱してしまうことがある。被害者のトラウマもあるが、加害者側の家族のトラウマも存在する」と話した。「戦争が、家族そして孫の世代まで傷を残している。その部分においてアリと私は共通している」と一つ一つ言葉を選びながら語った。 現在の関係性を尋ねると2人はそろって「友人」であり「姉弟」だと表現した。本音を言い、笑い合える「普通の」関係だという。小鈴さんはアリさんの素顔について「感受性が強い」「わらしべ長者みたい」とまるで本当の弟のことのように温かな笑顔で話した。アリさんは小鈴さんについて「僕を友人として受け入れてくれた彼女こそヒーローです」と語った。広島市で開かれた国際平和シンポジウムに出席し、発言するアリ・ビーザーさん(左)と原田小鈴さん=同市中区で2025年8月2日終わらない2人の物語 出版を機に、以前に増してメディアの取材を受ける機会が多くなり、人の目に触れることが増えた。小鈴さんは、多くの人に知ってもらうことに意味があるという。「私たちを知れば祖父のような二重被爆者の存在を知ってもらえる。私とアリの出会いを知れば原爆や戦争を知ることにつながる」 原爆投下後81年の月日がたち、被爆者の高齢化と減少が進む中で、次の世代が証言を聞くことは急務だとアリさんは話す。「81年前に起きた出来事をひとごとだと思ってはいけない。過去の事実を聞いたり知ったりしなければ、あなたがそれと同じ経験をする可能性があることを理解してほしい」。アリさんは訴える。 小鈴さんとアリさんは、「人間の心」を信じることが平和につながると信じている。今後、戦争や原爆を題材にして、2人で児童書を出版するつもりだ。より広く、そして若い世代にも、戦争の事実や自らのような存在を知ってほしい、という思いを形にしていくという。2人はそろって「祖父たちの経験を決して風化させてはならない。そのために声を上げ続ける」と話す。 小鈴さんは「日本人も外国人も同じ心ある人間。その心をどう動かしていくかが私たちの課題」と今後を見据える。共著は成果物であり、2人が交流したその過程こそが平和構築だと黒住さんは話す。「2人の物語は終わっていない。今後も続いていくことが、世界平和につながる」。黒住さんはそう力を込めて語った。