生身の人間むしばむ核兵器 ビキニ被ばくの元乗組員が残した言葉

Wait 5 sec.

インタビュー 高尾具成毎日新聞 2026/8/7 05:00(最終更新 8/7 05:00) 有料記事 1685文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷公益財団法人第五福竜丸平和協会事務局長の市田真理さん=東京都江東区の第五福竜丸展示館で2026年7月2日、高尾具成撮影 1945年、米国が広島と長崎に投下した原爆は多くの市民の命を一瞬で奪い、生き残った人々の体と心に深い傷を刻んだ。冷戦下には度重なる核実験で「死の灰」が広範囲に降り注いだ。今、「核」を脅しに使う指導者たちがいる。核使用がもたらす被害の深刻さは世界に伝わっているか。公益財団法人「第五福竜丸平和協会」の市田真理事務局長に聞いた。【聞き手・高尾具成】米国核実験で「死の灰」 1954年3月1日、米国が太平洋のマーシャル諸島・ビキニ環礁で実施した水爆実験により「死の灰」(放射性降下物)が広範囲に降りました。 実験場の東約160キロの海域で操業中だった静岡県焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が死の灰を浴び、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が半年後に死去しました。 水揚げされた魚が放射能汚染されていたという衝撃も重なり、原水爆禁止を求める世論が高まりました。 日米両政府は、米国が法的責任を伴わない「見舞金」を日本側に支払う形で政治決着を図りましたが、死の灰を浴びた日本船舶は第五福竜丸だけでなく、延べ約1000隻に上ったとみられます。約3分の1は高知県の船だったとされ、同県の元乗組員や遺族らは今も国などに救済を求めて裁判を続けています。 マーシャル諸島では住民の被ばくや環境汚染も深刻で、正確な被害状況は今も分かりません。 私たちは「第五福竜丸事件」でなく、「ビキニ事件」と呼んでいます。 事件は原爆被害に関心が向くきっかけになりました。 55年に広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、56年、長崎での第2回大会で「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)が発足しました。第五福竜丸は核廃絶運動の原点なのです。 しかし、核実験被害者は、57年に施行された原爆医療法(95年施行の被爆者援護法の前身)の対象から外されました。 第五福竜丸元乗組員の大石又七さん(2021年に87歳で死去)は83年に証言活動を始め、700回以上の講演をされました。 強調していたのは「真剣に考えて、真剣に怒ってほしい」です。核被害は生身の人間が放射能により心身をむしばまれるのです。 …この記事は有料記事です。残り790文字(全文1685文字)関連記事【最新記事】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>