55年体制をしぶとく支えた「戦争は嫌」今は 長谷川宏氏の視点

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日本国憲法の公布文の上諭(天皇の裁可を示す文章)に毛筆で名を記す昭和天皇。左側に「裕仁」の自署=1946年10月30日 日本国憲法は11月3日で公布80年。国民主権を定め、平和と自由を重視する憲法の下で、人々はどんな社会文化・意識を育んできたのか。在野のヘーゲル哲学者にして半世紀以上、地域で塾を営む長谷川宏さんに、自らの人生と重ねて論じてもらった。【聞き手・鈴木英生】「戦争は嫌」が支えた感覚  近年の政治や社会、特に人々の人権や人間の尊厳に対する向き合い方は弱くなっています。それでも、普通の人々が戦後憲法下で得た「自由に考え、物を言えることはいいことだ」「戦争はこりごり」といった感覚は、今も、さほど変わっていない気がします。 私は1946年に小学校入学。「君たちが新しい社会を作るのだ」などと言われて育った世代です。しばらくすると、警察予備隊(50年創設)ができるなど、いわゆる「逆コース」の動きが始まり、自分の反抗期とも重なって、私は「再軍備反対!」などと言うようになりました。 実際には、当時の世論調査などの結果を見ると、再軍備賛成が多数の例もあるし、私の育った島根県の田舎では、表だって「戦争反対!」などと主張する大人はあまりいなかった。でも、だからといって反戦的な考えが少数派だという気もしませんでした。 私の親も、選挙では右寄りの候補に投票していたようで、私はそんな親をはっきり批判していたけれど、それで関係が悪くなることはありませんでした。これが、大切な点だと思います。 私は東大入学後、60年安保闘争に参加しました。この時代、国会では護憲・革新勢力が3分の1の議席をどうにか確保し続け、改憲勢力が3分の2を割る、いわゆる55年体制が定着していきます。 私の関わった学生運動は、若者の過激さも手伝って、現行憲法体制の(より左派的な)変革を視野に入れてはいましたが、同時に私個人は、東西冷戦下で中立論を掲げるような、社会党など護憲勢力のしぶとさを、「頼りにできる」とも思っていました。 かつての大人たちは、しばしば戦争の時代の悲惨さや苦労を口にして、私たちもその感覚を受けとめて育った。自民党支持者も「戦争は嫌」という感覚がなくはなかった。表向きの政治傾向や支持政党とは別に、広く深く、この感覚が普通の人々の意識に沈殿していたのだと思います。この沈殿したものが、55年体制をしぶとく支えたのだと思います。 そうした普通の人々の感覚があったからこそ、私の親も「再軍備反対」を唱える息子と強く対立はしなかったし、私も田舎を「保守的でイヤだ」と言いつつ、心のどこかでそれと折り合いをつけていく方途を探っていたと思います。 …Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事【最新記事】