憲法の「きれいごと」と人々の「黙殺」 林晟一氏の違和感

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日本国憲法の公布文の上諭(天皇の裁可を示す文章)に毛筆で名を記す昭和天皇。左側に「裕仁」の自署=1946年10月30日 日本国憲法は11月3日で公布80年。国民主権を定め平和と自由を重視する憲法の下、人々は何を「黙殺」し、どんな社会意識を育んでこられたのか。そこに残る希望を、東京都内の中高一貫校で教える教育者でもある評論家の林晟一さんに論じてもらった。【聞き手・鈴木英生】「きれいごと」への無関心  外国人登録令の公布は、日本国憲法施行(1947年5月3日)の前日です。日本人と従来されていた旧植民地出身者は、以後、本人の意思確認もなく自動的に外国人扱いとなりました(完全な国籍剥奪は52年)。多民族帝国だった日本は、新憲法と共に「単一民族」民主主義国になったのです。 戦後、憲法が日本の「右傾化」の「歯止め」になってきた面は、たしかにあるでしょう。ただし地政学的には、韓国や台湾が、日本が「戦争に巻き込まれない」ための「防波堤」となってきました。平和憲法は旧植民地出身者を排除した上に誕生し、平和国家は旧植民地に守られてきた。このシンクロを意識した憲法学者や護憲派は、どれだけいたでしょうか。 在日外国人らの人権保障は、特に70年代以降に拡充されました。当時、在日コリアンらの運動を支援した護憲派の日本人もいます。が、政府を直接に動かしたのは、むしろ国際人権法だったといえます。国際人権規約の批准(79年)などと並行して、政府は「国益」にかなうからこそ、渋々でも外国人の権利を認めてきました。護憲だけでは変わらなかった、いや意識さえされにくかった問題が、「外圧」で変わったわけです。 それでも、憲法は大事だと思います。いくら現実とかけ離れていても、「きれいごと」を掲げ続けることに意義はある。それに私だって、自由権など憲法の規定に守られて生きています。ですが、「きれいごと」の総体は何を黙殺してきたのかを、人々がもう少し意識してくれてもよい気はします。 さらに、その「きれいごと」を国民はどう受け止めてきたか。境家史郎・東京大教授(政治学)らの調査によると、多くの国民は、権力者を縛るという意味で立憲主義を理解していません。憲法の規定はさておいて、政策は柔軟にやればいいと。「憲法に問題があるから不利益を被った」といった経験に乏しい国民は多いです。加えて、政府の解釈改憲や司法の憲法判断回避をたびたび見せられたら、「憲法は改正してもしなくても一緒」という意識が国民に育ってもおかしくない。そんな中で、憲法は改正されずにきたのでは。長い「平和」が生んだ「優しさ」 憲法への無関心が絶対に悪いとは言い切れません。…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事【最新記事】