「一つのアジア」を決めるのは スローガンに抱く懸念と違和感

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インタビュー 田原和宏毎日新聞 2026/9/3 05:01(最終更新 9/3 05:01) 有料記事 1612文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷2026年の愛知・名古屋アジア大会のスローガンを掲げる組織委員会の(左から)河村たかし会長代行、大村秀章会長、福井烈副会長(肩書は当時)=名古屋市中区のアイリス愛知で2019年10月18日、黒尾透撮影 たかがスローガン、されどスローガン。19日開幕の愛知・名古屋アジア大会は「IMAGINE ONE ASIA ここで、ひとつに。」を掲げる。岡倉天心の言葉「アジアは一つ」を思わせるが、過去の歴史もあって軽々しくは扱えない。そもそも、悪化する日中関係、緊迫化する中東情勢の今、「一つのアジア」を想像することは可能か。多文化主義の視点からメディアを分析する立教大教授の林怡蕿さんに聞いた。【田原和宏】 <関連記事> 日中は「敵か友か」 スローガンから考えるアジア版五輪の価値 「バカヤロー、カエレ」の罵声も 忘れられた大会の歴史にも目を「幻想」ではなく「現実」を 「一つのアジア」と聞いて真っ先に問いたい。それを決めるのは誰なのか。誰の論理で、どのようなルールに基づき、一つの共同体が形成されるのか意識する必要がある。共同体は権力や資源を持つ側の論理で形成されることが多い。そこには包摂・排除という選別のメカニズムが働く。「ONE/一つ」の論理に内在する問題だ。 仮に「一つのアジア」ができたとしても、地政学的にはその秩序を決めるのは圧倒的な力を持つ国だ。開催国である日本は国際的な地位や存在感を取り戻したいという願望があるかもしれないが、「一つのアジア」は幻想ではないか。むしろ、「みんな仲良く」というニュアンスで使われることに危険性を感じる。 「スポーツと政…この記事は有料記事です。残り1033文字(全文1612文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>