毎日新聞 2026/9/3 08:00(最終更新 9/3 08:00) 有料記事 1830文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷制作活動を行う草間彌生さん=東京都内で2015年5月12日、梅村直承撮影 世界の現代美術シーンの第一線で走り続けた前衛芸術家、草間彌生さんが97歳で亡くなりました。 あまりに大きな功績を残した草間さんについて、フェミニズム美術を研究してきた美術史家の中嶋泉さんは「『天才』という言葉の中に閉じ込めてしまうことにためらいがある」といいます。 アジア人、さらに女性というマイノリティーである草間さんがいかにして、偉大な芸術家として世界的評価を受ける「草間彌生」になったのか。 中嶋さんに追悼文を寄せてもらいました。日本画を学ぶところからの出発 草間彌生をどのような言葉で送ればよいのだろう。 「世界でもっとも有名な日本人アーティストの一人」という言い方は間違ってはいない。しかし最後に彼女を、「スター」や「天才」という言葉のなかに閉じ込めてしまうことにはためらいがある。 草間は最初から、私たちの知る草間彌生だったわけではない。 1929年に長野・松本に生まれ、戦争のなかで少女時代を過ごした。画家になることを家族から反対され、日本画を学ぶところから出発した。 戦後、京都で学び、東京の前衛美術にも接し、シアトル、ニューヨークへと活動の場所を移し、その土地の新しい美術を貪欲に学びながら、自分の表現を作り替えていった。 50年代末のニューヨークで発表した「インフィニティ・ネット」は、その鮮やかな成果の一つだろう。当時アメリカ美術を席巻していたのは、ジャクソン・ポロックらの抽象表現主義だった。 大きく身体を動かし、絵の具を投げる彼らに対して、草間が巨大な画面を埋めたのは、筆先で描く小さな弧の果てしない連続だった。遠くからは白い画面に見え、近づけば無数の網目が現れる。画家の身体と絵画の関係に、まったく別の答えを出した。近代主義的な理想を信じて 日本から来た若い女性が…この記事は有料記事です。残り1080文字(全文1830文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>