加害の記憶 戦後81年深掘り 田中理知毎日新聞 2026/9/5 09:00(最終更新 9/5 09:00) 有料記事 4078文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷戦時中、旧日本兵の父親が最初に派遣された公主嶺を訪れ、謝罪する黒井秋夫さん=中国・吉林省の公主嶺で2024年9月、黒井さん提供の動画からスクリーンショット 「父親の侵略と蛮行を心から謝罪します」 父が出征した中国の地で、息子は深々と頭を下げた――。 戦時中、多くの兵士が戦闘への恐怖や加害行為によるショックで心を壊した。戦争トラウマだ。 帰還兵はアルコール依存や自傷行為、さらには家庭での虐待や暴力にも走った。 トラウマの連鎖は孫世代にまで及ぶ。どうすれば断ち切れるのか。 陸軍に徴兵され軍曹に昇進した父を持つ黒井秋夫さん(78)が出した答えの一つは、父の加害を謝罪することだった。 「父がしたことに向き合わなければ、何も始まらないのです」 終戦から81年。日本はアジア諸国に資源や権益を求め侵略しました。戦後世代は、加害の歴史にどう向き合うべきか。連載「加害の記憶 戦後81年」を随時掲載します。 関連記事 戦没者追悼「反省」消した高市首相 歴代首相の式辞の変遷 次回は、家庭内暴力と戦争トラウマの実態に詳しい村本邦子・立命館大大学院教授のインタビューを9月6日午前9時にアップします。祖父から父へ 暴力の連鎖 黒井さんは2018年、元日本兵2世の当事者会「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を始めた。 23年に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」に改称したが、ここには近年、孫にあたる3世の姿も見られるようになった。 埼玉県に暮らす石井みきこさん(41)もその一人だ。 「小さい頃から家の中には、楽しくない雰囲気がありました」 石井さんの両親は幼いころに離婚したが、父親からの経済的支援は続き、時折母子が暮らす家に姿を見せた。 母親によると、父親は結婚した時「僕は父にたたかれて育ったから、自分の子どもはたたきたくない」と口にしていたという。 しかし父親が家に来ると、家族はいつも「臨戦態勢」になった。父親が子どもの前でも構わず母親に手を上げるからだ。 成長してからは父親だけでなく、実家とも距離を置いた。 なぜ自分の家族は暴力に支配されているのか。その疑問が石井さんを苦しめ続けた。 <この後の内容は> ・3代にわたるトラウマの苦しみ ・2世の後悔「もっと早く…」 ・「親父(おやじ)のかわりに謝りたい」 ・中国での謝罪 現地の反応は ・国が背負わなかった戦争の罪子どもたちを平手打ち 石井さんの父親はどんな家庭環境で育ったのか。 祖父は石井さんが生まれる前に亡くなった。親戚から伝え聞く人物像は「怖いけど、立派な人だった」というものだ。 祖父は戦後に事業を起こし、好景気も相まって成功を収めた。 しかし家庭では、子どもたちに苛烈な暴行を加えていた。 いたずらをした兄弟を1列に…この記事は有料記事です。残り3002文字(全文4078文字) 次回は、1990年代から臨床心理士として家庭内暴力の被害者と関わり、戦争トラウマの研究にも携わった村本邦子・立命館大大学院教授のインタビューを9月6日午前9時にアップします。【前の記事】戦禍「繰り返さ“せ”ない」高市氏なぜ式辞変更? 戦没者追悼式関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>