慶喜と「ケイキ公」家族だけが知る素顔/慶喜家の家じまい②

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毎日新聞 2026/8/27 11:00(最終更新 8/27 11:00) 有料記事 2475文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷父・徳川斉昭から慶喜に送られた書簡をまとめた「烈公御真翰(れっこうごしんかん)」の一部=山岸美喜さん提供 「うちって本当に徳川慶喜家だったんだ」。名古屋市の主婦、山岸美喜さん(58)は思わず驚きの声を上げた。 4代目当主の叔父から託された慶喜家の「家じまい」。2018年、その一環で千葉県松戸市にある「戸定歴史館」の収蔵庫に入り、初めて慶喜の遺品を含む史料と対面したのだ。 江戸幕府最後の将軍が創設した「徳川慶喜家」。初の女性当主となった5代目は、4代目の遺言に突き動かされ、「家じまい」に奔走します。でも次々と試練が訪れて……。全4回の2回目です。 歴史館で保管されていた史料とは? 史料は文書を中心に約6000点に上る。慶喜の直筆の書をはじめ、政治家・大隈重信や実業家・渋沢栄一からの書簡などを含む文書類、慶喜による写真や油絵がぎっしりと並んでいた。 史料は叔父の徳川慶朝さん(17年に67歳で死去)が預けたもので、遺言書には一歩進めて「戸定歴史館に寄贈する」と書かれていた。山岸さんは寄贈の手続きとして、一つずつ史料を確認する作業に取りかかった。 史料は、もともと慶朝さんとその両親が1990年代前半まで暮らしていた東京都内の一軒家にあり、押し入れや倉庫、ガレージに分けてしまわれていた。 慶朝さんは10代後半のころ、押し入れを整理していた際に慶喜自身が撮影した写真や、慶喜のカメラを見つけた。その写真を使って30代のときに写真集「将軍が撮った明治」(朝日新聞出版)を出版した。この写真集が松戸市とつながるきっかけとなる。 市の学芸員から慶朝さんに連絡があり、交流が始まった。慶朝さんは史料の維持管理の大変さから、80年代後半から2回に分けて市に預けた。徳川家とゆかりのある戸定歴史館が保管し、一部は企画展として展示されるようになった。慶喜家に伝わる不文律 山岸…この記事は有料記事です。残り1743文字(全文2475文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>