一番最初はしょうゆ味? 上方歌舞伎と「あめちゃん」の甘い関係

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毎日新聞 2026/8/23 10:30(最終更新 8/23 10:30) 2482文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「扇雀飴本舗」のキャンディー=梅田麻衣子撮影写真一覧 大阪市中心部にある高津宮(こうづぐう)(高津神社)は、落語の「高津の富」「崇徳院」、文楽の「夏祭浪花(なにわ)鑑(かがみ)」などの舞台として有名で、上方歌舞伎にもゆかりが深い。その高津宮のほど近くに本社がある「扇雀飴(せんじゃくあめ)本舗」(大阪市中央区)は、「ジュースキャンデー」や「はちみつ100%のキャンデー」などを製造・販売している創業101年のキャンディーメーカー。でも、なぜ歌舞伎の名跡「扇雀」が社名に入っているの? そこには、キャンディーと歌舞伎の甘ーい関係があった。一度焼失した「ウサギ印」 扇雀飴本舗は1925年創業。「米田製菓所」として「ウサギ印」のドロップを製造・販売していた。「創業時から本社は現在の場所なんですよ」と米田英生社長(56)が教えてくれた。Advertisement大阪大空襲で神輿庫(階段上の左端)を残して焼失した高津宮=大阪市で1945年3月写真一覧 順調な時代ばかりではなかった。第二次世界大戦が始まると、砂糖など材料の入手が困難になっていく。さらに、45年3月の大阪大空襲で市中心部は壊滅的な被害を受け、同社も焼失してしまう。毎日新聞のアーカイブに、空襲直後の高津宮の写真が残っていた。わずかに建物が残るほかは、がれきばかりで「神輿(みこし)庫を残して焼失した」と説明が記されている。 戦争が終わると、仮設工場でキャンディーの製造を再開する。創業者の一人である米田市太郎さんが戦地から帰還し、兄の勘四郎さんと力を合わせて再興していくことに。高津宮にあやかり「高津製菓」として会社化した。転機は大スターと共に1967年ごろの「扇雀飴」=扇雀飴本舗提供写真一覧 再び「ウサギ印」のキャンディーを作っていた会社に、大きな転機が訪れる。 上方歌舞伎の二代目中村鴈治郎さん、二代目中村扇雀(のちの四代目坂田藤十郎)さん親子と交流があった米田さん兄弟の元に、「扇雀飴」を作ってほしいという依頼があったのだ。「当時、他のメーカーが『鴈治郎飴』というのを作っていて、二代目の襲名に合わせて『扇雀飴』を作っては、という話になったそうです」 52年に発売した「扇雀飴」は大ヒット商品に。「扇雀さんは『曽根崎心中』のお初が当たり役で、『扇雀ブーム』と言われるほど人気があったそうですよ」と米田社長。会社も「高津製菓」より「扇雀飴」の名前で知られるようになり、61年に「扇雀飴本舗」に社名を変更した。 ところで、劇場などで売られていた「扇雀飴」の味、気になります。「最初はしょうゆ味だったと言われています。あと梅干しや、黒糖などの味もあったようです」。缶の写真を見ると、和風のデザインがかわいい。歌舞伎観劇のお供やお土産にぴったりですね。「はちみつ100%」開発に3年、特許も「はちみつ100%のキャンデー」=梅田麻衣子撮影写真一覧 他にも人気商品を生み出していく。60年に発売した「ジュースキャンデー」は、レモンやブドウなどのフルーツ味が数種類入っている。60~70年代には、缶入りの贈答用としても人気を集めた。今も愛されるロングセラー商品だが、よりフレッシュな味が楽しめるようにまるごとすりおろした果実を使うなど、改良を続けてきた。 看板商品でもある「はちみつ100%のキャンデー」は95年発売。健康志向の高まりを受けて、蜂蜜のみでキャンディーを作ることを思いついた。水分を飛ばして固めようとしたが、加熱しすぎると固まらず、試行錯誤が続いた。3年がかりで発売にこぎつけ、特許も取得。余談だが、開発担当者は実際にハチを飼ったことがあるそうだ。 キャンディーを通じて、産地との交流や社会問題の解決にも取り組む。 高知県宿毛市で栽培されているスダチの一種「直七」は生産量が少なく、市場に多くは出回らない。直七のほどよい酸味と爽やかな香りに開発担当者が感銘を受け、誕生したのが「幻の柑橘(かんきつ) 直七のど飴」だ。ただ販売するだけでなく、生産地に足を運んだり、本社と兵庫県姫路市の工場で直七の木を育てたりして交流を続けている。 愛媛県西予市産の間引きされたミカンを使った「実熟者(みじゅくもの)ですが。」や、北海道産の白ブドウからワインを作る時に出る皮を使った「皮いいでしょ?」は、捨てられていた食材を生かした。食品ロスを減らしながら、おいしいキャンディーができるとは。アメージング! 高津宮の玉垣には、米田幹郎会長と三代目中村扇雀さんらの名前が並んでいる。昨年の扇雀飴100周年記念行事には、三代目扇雀さんも参加してくれた。こちらのご縁も、二代目から三代目へ受け継がれているんですね。「上方歌舞伎が大事にする『進取の精神』と、当社には通じるものがあると思っています」と米田社長は胸を張る。 60年以上前から輸出もしている。キャンディーを通じた人とのつながり、「和」を大切にしてきたという同社。「これまで新しいもの、面白いものをかたちにしてきました。思いやりや『和』の精神を広げて、世界の人たちの心の豊かさや健康につなげていきたいです」。戦災を乗り越え、歌舞伎の名跡を名前に冠するメーカーの「あめちゃん」は、日本と世界の「和」を結ぶ懸け橋になるのかもしれない。扇雀飴本舗の米田英生社長。左はマスコットキャラクターの「チュンチュンチュッピー」=扇雀飴本舗提供写真一覧51歳で三菱商事から転身 4代目で市太郎さんの孫にあたる米田社長は、一橋大を卒業後、三菱商事に入社。エネルギー部門で石油を取り扱い、インドネシアなどへの海外赴任経験もある。「新しいことをするなら、今かなと思って」28年間勤めた会社を退職し、51歳で扇雀飴本舗に入社した。2022年に父の幹郎会長のあとを継いで、社長に就任。エネルギーからお菓子という、まったく違う分野への転身だが「伝統ある企業の良さを残しつつこれまでの経験を生かして勝負したい」と気負いがない。 社長就任後、部署をまたいだ若手チームに商品開発を任せるなど、新たな取り組みに着手した。23年に発売した「海のソーダCANDY」は、従業員からの提案で売り上げの一部を海洋環境保全などに寄付。高津宮周辺や、工場のある兵庫県姫路市の海岸で、従業員らが清掃活動を始めた。「企業としてのあり方、社会との接し方を、これからも考えていきます」。ほっとする甘い一粒と商社で培った広い視野で「あめちゃん」の輪と可能性を広げていく。【水津聡子】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>