毎日新聞 2026/8/23 09:15(最終更新 8/23 09:15) 有料記事 1583文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地内で展示されている二式大型飛行艇の写真や戦争中の写真などを見る石井さん(右から2人目)ら=香川県観音寺市観音寺町で2026年7月25日午前11時59分、植松晃一撮影 夕暮れ時の絶景が「日本のウユニ塩湖」とも称され、国内外から観光客が訪れる父母(ちちぶ)ケ浜海水浴場(香川県三豊市)。そこから北へ約5キロ、浦島太郎伝説も残る荘内半島の詫間地区に、太平洋戦争中、水上機部隊の詫間海軍航空隊基地があった。戦争末期、香川県内の学生が勤労動員され、基地そばの工場で旧海軍の二式大型飛行艇(二式大艇)の整備や修理に携わっていた。 11月公開予定の映画「ゴジラ―0・0」の予告サイトの映像には海面すれすれに飛ぶ大型飛行艇の姿が映し出されている。「今度のゴジラには、二式大艇が登場するのか」。予告映像が公開されたその日のうちに、ファンの間で話題を集めた。 4発のエンジンを備えた二式大艇は航続距離7000キロ超と、米軍のB29爆撃機に匹敵する性能のほか、レーダーや重火器なども備え、当時は世界最高水準の傑作機とされた。学生ら800人が従事 当時の様子を証言したのは、動員された旧県立観音寺商業学校(現・県立観音寺総合高校)の4年生だった石井多嘉夫さん(96)=三豊市=ら観音寺、三豊両市在住の男性4人。 石井さんらは3年生の時に観音寺市に建設された航空基地の周辺整備工事に動員されていた。1945年3月、同級生99人とともに、詫間海軍航空隊そばで機体修理などを担う第11海軍航空廠詫間工場に移った。 三豊市広報誌(2015年8月)などによると、詫間海軍航空隊は水上機の教育訓練部隊として設けられたが、1944年秋に大型飛行艇を含む一大作戦基地に。訓練部隊から実線部隊に様変わりしていた。 石井さんらは観音寺市の自宅から鉄道で毎日通った。最寄りの詫間駅から基地まで5キロ以上の道を約1時間かけて歩いた。1、2カ月後に工場そばに寮が完成すると、寝泊まりするようになった。 詫間町教育委員会(現・三豊市教委)が航空隊跡へ2000年に建立した碑文には、観音寺商業学校に加え、善通寺高等女学校(現・県立善通寺第一高校)や徴用工員、女子挺身隊員ら約800人が、水上機の整備や修理に従事したと記されている。二式大艇も含まれていた。慣れない作業で「手が腫れた」 二式大艇は偵察や攻撃隊の先導などの任務に当たっていたが、45年春には、日本列島周辺の制空権が米軍らに奪われており、被弾して帰還する機体も少なくなかった。 生徒らは…この記事は有料記事です。残り619文字(全文1583文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>