毎日新聞 2026/8/26 11:00(最終更新 8/26 11:00) 有料記事 2627文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷徳川慶喜家5代目当主の山岸美喜さん=東京都台東区で2026年8月9日、鈴木紫門撮影 名古屋市で平穏な日々を過ごしていた主婦の運命を変えたのは、1通の遺言書だった。 叔父から託されたのは、江戸幕府第十五代将軍、徳川慶喜(1837~1913年)が明治期に創設した「徳川慶喜家」の膨大な史料と広大な墓地。4代目当主だった叔父の遺志を重んじ、すべてを第三者に譲り、家を終わりにする決意をした。 だが、徳川姓でも、男性でもない5代目当主の決断に親族は猛反発した。 最後の将軍の遺産をどうやって後世に受け継いでいくか。慶喜家の「家じまい」。その始まりは10年以上前にさかのぼる。4代目当主の叔父ががんに 2013年12月、名古屋市の自宅にいた山岸美喜さん(58)の携帯電話が鳴った。茨城県に住む叔父で、4代目当主の徳川慶朝さんからだった。このとき63歳。「美喜ちゃん、俺もヤキが回っちゃったみたいでさ。がんの疑いがあるって。また検査するんだけどね」 数週間後、慶朝さんから検査結果がメールで送られてきた。「食道がんだった。喉にも何かあるみたい」 慶朝さんは慶喜のひ孫にあたる。20年間、広告制作会社でカメラマンとして勤めたあと、フリーカメラマンに転身した。コーヒー好きが高じて、慶喜が将軍時代に大坂城で外国公使に出したとされるコーヒーの再現にも挑戦した。結婚歴はあったが離婚して独身だった。 山岸さんにとっては母親の弟で、幼い頃からかわいがられていた。成人しても関係は変わらず、かえって頼られるようになった。 江戸幕府最後の将軍が創設した「徳川慶喜家」。初の女性当主となった5代目は、4代目の遺言に突き動かされ、「家じまい」に奔走します。全4回の1回目です。 「変わり者」とみられていた叔父 がんを知らされた山岸さんは涙が止まらなかった。叔父は当主として慶喜家を大切に思いながらも、親戚付き合いは苦手で家のしがらみから距離を置いてきた。 著書には「名とか血縁などというもののために、幸せを犠牲にするようなことはくだらないのである」と記し、親族からは「変わり者」とみられていた。 でも、山岸さんは「人の気持ちに寄り添い、自分の価値観を押しつけることもない」と思っていた。 1人暮らしの叔父を放っておけない。「次の診察から一緒に行くよ」と電話で伝えた。このときから看病のため、慶喜家当主の家と名古屋の自宅を往復する日々が始まった。慶…この記事は有料記事です。残り1660文字(全文2627文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>