私のライフシフト:吉野家でトクホ開発・57歳女性が画家に 「趣味で終わらせない」

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私のライフシフトストーリー 蓬田正志毎日新聞 2026/8/26 10:00(最終更新 8/26 10:00) 有料記事 2539文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷全国公募展「中美展」の入選作を手にするカジノビコさん=東京都内で2026年6月25日午後2時48分、蓬田正志撮影 横浜市戸塚区在住のカジノビコ(本名・梶原伸子)さん(59)は大学卒業後、食品業界で長く研究開発の仕事に携わった。 当時は、何度も何度も実験や試作を繰り返す地道な作業の連続だった。 特定保健用食品を開発するなどやりがいもあったが、定年間近の2025年3月、57歳で退職の道を選んだ。 いまは「別のやりたかったこと」として水彩画家をしているが、意外にも研究職の経験が生かされているという。 「趣味で終わらせるつもりはありません」 カジさんの第二の人生はどんな展望なのか。 <主な内容> ・ファンケルで管理職も ・吉野家ではトクホ開発の主要メンバー ・第二の人生への転機 ・食べ物の絵「えらく評判良かった」 ・早期退職を選んだワケ ・58歳で美術展「新人賞」 ・初の個展で複数の作品売れ、手応え 次回 独立の契機は“枕の加齢臭” 49歳広告マン、化粧品事業立ち上げ(8月29日午前10時に公開予定)ファンケルで管理職も 食や栄養に関心があったカジさんは岐阜大農学部を卒業後、1990年にミツカン(愛知県半田市)に就職し、バイオセンサーを用いた測定器開発などを担った。 95年に8歳年上の夫と結婚して横浜市に移住し、同時期に化粧品や健康食品を手がけるファンケル(横浜市)に転職した。 間もなく長男が生まれ、子育てに追われる一方、産後9カ月で仕事に復帰した。 研究開発にいそしみ、手がけた無添加のコラーゲン入りドリンクはロングセラー商品となった。 その後、商品企画部門では「事業部長」の管理職も経験した。吉野家ではトクホ開発の主要メンバー だがそこで思うような結果が出せず、生産部門に異動となった。 工場の効率化などに取り組んだが、部下を持たない管理職だった。 「収入を維持するためだけなら会社に残っていても良かったと思います。でも時間を持て余すこともあって、組織に求められているのか疑問もありました」 その頃、牛丼チェーンなどを展開する吉野家ホールディングス(東京都中央区)に移った元上司から誘いがあり、15年に2度目の転職を経験した。 研究職に復帰し、外食チェーンとして初めてとなる特定保健用食品の開発に主要メンバーとして携わった。 通常の牛丼の味を落とさず、血糖値の上昇を抑える試験を繰り返し、21年に国の許可を得た。第二の人生への転機 水彩画を始めたのは、吉野家に移籍した15年のこと。 ちょうど長男が大学に進学して家を離れ、時間に余裕ができた。…この記事は有料記事です。残り1516文字(全文2539文字)【前の記事】「120%の力発揮」大企業飛び出し56歳でコーヒー焙煎の道へ関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>