揺らぐ「平和」―軍拡の時代に―インタビュー毎日新聞 2026/8/22 06:00(最終更新 8/22 06:00) 有料記事 2272文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷天安門事件当日、炎を上げる装甲車の列を見つめる市民ら=北京・復興門内大街で1989年6月4日、浜名晋一撮影 1972年の日中国交正常化から半世紀余り。尖閣諸島や台湾海峡を巡り緊張が続いている。ただ関係正常化後間もない頃から両国間の最前線に立ってきた元外交官は、冷静に現在地を見つめる。日中友好に関わる有力7団体の一つ「日中友好会館」理事長も務めた佐藤重和さん(76)。「友好と言っているうちは、本当の関係にはなりませんから」と話す真意を尋ねた。【聞き手・萩原桂菜】 <主な内容> ・工場で働いた文革時代 ・近くの人が撃たれた天安門事件 ・使命感は要らない シリーズ<揺らぐ「平和」>インタビュー編。最終回の23日は、平和運動について藤原修・東京経済大教授工場で働いた文革時代 ――国交正常化から2年後の74年に外務省に入省されました。その頃の日中はどのような関係でしたか。 ◆当時の中国はまだ非常に貧しい国でした。日本との経済格差は極めて大きく、1人当たりの所得は日本を大きく下回っていました。中国人留学生を自宅に招いて食事をすると、彼らは普段食べられない分まで一生懸命食べようとする、そういう時代でした。 日本人にとっては、中国は文化大革命の最中にある閉ざされた国で、「何を考えているかわからない怖い国」というイメージが強かったと思います。 そ…この記事は有料記事です。残り1752文字(全文2272文字)【前の記事】狙われた東大教授が明かす認知戦の手口 対抗策は?関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>