高校の国語教員として教壇に立つかたわら、歌人、エッセイストとして作品を発表する堀静香さん=本人提供 「がっこうはじごく」 そんなタイトルの本がある。「学校ぎらいだった大人と、学校ぎらいの子どものため」のエッセー集だ。 著者は高校教員の堀静香さん(36)。「今も苦手」という学校はどんな場所なのか。それでも教室で生徒に向き合い続ける意味とは。【聞き手・斎藤文太郎】 ――刺激的なタイトルです。 ◆私が自分で決めました。編集者はむしろ「大丈夫ですか?」と気にしてくれました。勤務先には「こういうタイトルの本を作りました。すみません」と事後報告しました。Advertisement 第三者から何か言われるかなということも想定しましたが、やっぱり伝えたいメッセージがあって、このタイトルにしました。 ――学校が嫌いだったんですか。 ◆自分が子どもの頃も、なんだか嫌だな、息苦しいな、という感覚はありました。ですが、当時はその正体が全然分からなかった。 一旦離れ、教員として学校という環境に入り直して改めて気づいたことですが、学校は子どもを管理する息苦しい装置として働いてしまう。そういう意味で、あまねく「地獄」と言えると思い、タイトルにしました。 ――学校は大多数の生徒にとって我慢を強いる場所なのでしょうか。 ◆学校自体は、機能するならば良い場所だと思っています。社会性を集団の中で身につけることは、どんなコミュニティーで生きる上でも大事だと思います。 ただ、一律に子どもを座らせて授業を進めるのもそうですし、今ではブラック校則などと呼ばれるようになりましたが教員も説明できないような理不尽なルールが多過ぎます。小学校の教室=斎藤文太郎撮影 新型コロナ禍の前までは授業中に飲み物を飲んではいけない、というルールがありましたが、自由に水分を取れないのはおかしいと思いますし、トイレに行くのも、私は「視線をくれれば行っていいよ」と伝えていますが、生徒は律義に手を挙げて「行っていいですか?」って許可を取ってくる。「トイレぐらい、いいのに」とも思います。管理する側としては、勝手にどこかに行かれたら困るという事情も分かりますが……。 今の勤務先は中高一貫校ですが、高校生もそうやって許可を得て何かをすることを続けている。高校生はもう成人する年齢なのに、管理し続けることのちぐはぐさも感じます。 ――なぜ教員を目指したのですか。 ◆地元の公立校に通っていた頃、学校は嫌いでしたが、行かないということ自体思いつきませんでした。どうしても嫌だ、というほどでもなく、そんなものかな、と受け入れていたのだと思います。 中学の時に通った塾は楽しかった。大学生になった時、その塾の先生が独立したので、講師のアルバイトを始めました。 編集の仕事をやりたかったのですが、就職活動で全部落ちました。塾講師をずっとやってきたこともあり、1年留年して教職課程の単位を取り、東京都内の私立校の非常勤教員になりました。その後、山口県の学校に転職しました。 ――生徒の考えを書いてもらうという実践を続けているそうですね。 ◆週の初めに小さな用紙を配り、生徒がその時に思っていることを、何でもよいので書いてもらっています。国語の研究会で学んだ手法で、「今、ここで」と名付けられている取り組みです。 教員になって間もない頃、「学校って結構しんどい場所じゃない?」と生徒たちに話していたんです。大抵の生徒は笑って受け流しますが、中には思い詰めた顔でこっちを見てきたり、後で「話したいです」と声をかけてきたりする生徒もいました。 そういう生徒の思いが、「今、ここで」をやると見えてきますし、やって良かったなと思います。 ――悩みを打ち明けられた場合、どう対応していますか。 ◆難しいところです。「今、ここで」は匿名でよいと伝えているので。名前と一緒に、本当に悩んでいると書いてくれる子にはこちらから話しかけますが、SOSを発している生徒がいるんだな、としか分からないこともあります。 もちろん、「今、ここで」とは別に「話せませんか」と伝えてくる生徒もいます。必要となれば担任につなぐこともありますが、「他の先生には言わないでください」と言われることもあります。 「悩んでいると知ってほしい」「悩みを打ち明けたい」「ただ話をしたい」……。いろんなグラデーションがあるのだと思います。 ――よく「困ったことがあったら周囲の信頼できる大人に相談を」と言われます。 ◆大人を信頼するってなかなかできません。私も先生を信頼していませんでした。自分の全部を明け渡すような信頼ってとても難しい。頼ってほしいというよりは、「まあ、この先生なら話してやってもよいかな」という距離感でありたいなと思っています。 学校にいると、いや応なく、先生と生徒という関係になります。どんなに親しみやすくても、教員という権力は拭えない。 それを隠して「先生と呼ばなくてもいいよ」と言うのはうそくさくなります。どこまでいっても先生と生徒という関係からは離れられないですから。 でも、学校という場じゃなければ私たちは出会えなかった。だから一瞬でも、今生きているお互いの心の機微に触れ合えたら、と思います。 そのために、私ができるささやかなことが「今、ここで」なのかな。高校の国語教員として教壇に立つかたわら、歌人、エッセイストとして作品を発表する堀静香さん=本人提供 ――夏休みなどの長期休暇明けは、学校に行きたくないと感じる児童生徒が増えると言われています。 ◆行きづらくなって当然だろうとは思います。私もあまり行きたくないです。教室での声の出し方も忘れちゃいますし(笑い)。 教員としては、生徒と会えなかったらすごく寂しい。学校に来ることだけが正解ではないですし、安全のために休むことが必要な場合もあるとは思いますが、生徒に会いたいとは思っています。 だから、授業ではなるべくゆとりをつくりたい。息苦しさ満載の学校でも、生徒が行ってもいいかな、と思ってくれるような、「地獄」の割れ目、隙間(すきま)のような場でありたいと思っています。 学校に来られない一人のためにも、学校という場が居心地が悪いかどうかも言語化できないような大多数の生徒のためにも、居心地の良くなる授業ができたら、と思っています。 1989年、神奈川県生まれ。山口県宇部市の私立中高一貫校に国語の非常勤教員として勤務。著書に「がっこうはじごく」「夫は松田龍平じゃないけれど」(いずれも百万年書房)など。 夏休み明けは、学校に行くのを渋る子が多くなり、子どもの自殺が増えるとされます。不登校経験者や親のインタビューを届けます。次回は8月29日午前9時アップ予定です。