教育のいま:元ブルーハーツ梶原さん 「一番ヘビーだった時期」に寄せる思い

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元THE BLUE HEARTSのドラマー、梶原徹也さん=東京都豊島区で2026年8月18日午後5時39分、斎藤文太郎撮影 「リンダ リンダ」「TRAIN―TRAIN」「青空」……。 数々の名曲を残し、今も伝説的なバンドとして語られる「THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)」でドラムスを担当していた梶原徹也さん(62)には、「人生で一番ヘビーだった」と振り返る時期がある。 不登校を経験した高校時代だ。 学校に行くのを渋る子が多くなり、子どもの自殺が増えるとされる夏休み明け。子どもに届ける言葉は何か。周囲の大人はどう対応すべきか。梶原さんと考えた。【聞き手・斎藤文太郎】Advertisement ――高校時代に不登校を経験したそうですね。 ◆高校は定期テストの成績がバーンと張り出されるような進学校でした。課題も多く、真面目な性格だったので一生懸命やったんですが、時間が足りない。 睡眠時間を削ることになり、体調を崩しました。でも、1日休んだからといって回復するわけでもない。2年の大型連休明けごろだったと思いますが、学校に行くのがつらくなりました。 ――周囲の大人はどのように受け止めていましたか。 ◆先生や母は様子を見守ってくれる感じでしたが、父は厳しかった。銀行員で、エリート集団の常識を持っている感じがありました。 当時はすでにロックに傾倒していて、布団をたたいてドラムの練習をしていたんですが、おやじからは「やる気のないやつは人間のクズじゃ」と言われたのを覚えています。 ――どんな心境でしたか。 ◆このままだと自分はどうなってしまうんだろう、という不安は大きかった。いつ心が折れてもおかしくないような状態が続いていました。自分の責任でこうなったと思い詰め、物に当たることも多かったです。 生活は昼夜逆転していました。昼間は外に出られないんです。同級生と顔を合わせたくないですし、「あそこの子、体調が悪いって言っていたのに外を出歩いていたよ」と周囲に言われるのも怖かった。寝て過ごしていました。 夜は布団の中で、ラジカセにつないだヘッドホンで音楽を聴いていました。ロックが心の支えで、抑圧に対する抵抗を歌う音楽やミュージシャンに共鳴していました。周囲にはなかなか思いを共有できる人がいなかったんですが、(英国のバンドの)ザ・クラッシュの音楽を聴き、「ロンドンには仲間がいるぜ‼」と心の中で盛り上がっていました。バリアフリーロックバンド「サルサガムテープ」のコンサートでドラムをたたく梶原徹也さん=東京都の障害者通所施設「新宿区立あゆみの家」で2026年8月18日午後2時10分、斎藤文太郎撮影 ――その後はどのように過ごしたのでしょう。 ◆高2の夏休みにバンドの仲間ができました。バンドの練習ではボーカル、ギター、ベース、ドラムなど各パートを担当することになります。私はドラムで、「みんなに認められ、任されてドラムをたたくんだ」と自覚し、自分の居場所となりました。 それまでは夜中に布団の中で音楽を聴く時間以外、自分はこの世界に存在していない、と思い込んでいましたが、仲間に信頼されているという安心感や、信頼に応えたいという前向きなやる気、何より「自分はここにいていいんだ」という自己肯定感が生まれました。 心が安定し、どん底の精神状態から抜け出す大きなきっかけとなりました。 学校にも通うようになりましたが、成績は相当、下の方でした。ただ、親は「やりたいことを見つけ、元気になったのなら良かった」と受け止めてくれていたと思います。 音楽で生きていく、そのためには東京に行く、と決めていました。東京に行く条件として「大学は卒業する」という親との約束があり、都内の私大に進みました。バンド活動ばかりやっていましたけどね。卒業して間もなく、ザ・ブルーハーツに加わりました。 ――不登校の経験が音楽活動につながったんですね。 ◆明らかに、不登校が人生の転機になっていたと思います。今でも人生で一番ヘビーな時期だったと思いますし、命を絶ってもおかしくないようなギリギリの状態だったと思います。 本当にやりたいことは何なのか。自分と向き合う時間でした。やりたいことにしか向き合えなかったし、勉強して良い学校に進む、ということは考えられなかった。 音楽の世界は父には想像もつかない世界だったとは思います。でも父の想像とは違っても、ちゃんと生きていく道があるということを発見できた。良い悪いではなく、それぞれの価値観の中で、自分の世界を信じて生きることができたのは非常にありがたいです。 ――不登校の児童生徒は増え続けています。梶原徹也さんのドラム演奏に合わせタイヤ太鼓をたたく児童たち(左奥)=三重県伊賀市の上野北小学校で2024年10月8日午前11時21分、大西康裕撮影 ◆学校を訪問する機会もありますが、先生たちからは「好きなことをやってごらん、応援するよ、と言う保護者が増えているけれど、好きなことを選んで続ける責任が子どもにかかってしまい、一歩を踏み出しにくくなっていないだろうか」という声を聞きます。 いろいろ選択肢が増え、多様性の大切さも掲げられる中でも、やっぱり子どもたちは将来が不安になると思う。本当に多様性を認めてんの?と言いたくなる社会でもあるし、その中では生きづらさもありますよね。 差別もなくならないし、ネットを見たら罵詈(ばり)雑言、誹謗(ひぼう)中傷もあふれている。どういう生き方をするか、そこに自信を持てるかどうか、なかなか難しいと思います。 ――子どもたちへのメッセージをお願いします。 ◆自分の心が弱っている時のことを思い出すと、どんなアドバイスをされても入ってこなかったんです。だから、ひたすら寄り添いたい。心が安定するように。 時間が解決するかもしれないし、別の積極的なやり方もあるかもしれない。でも、無理やり何かをやらせようとしても逆効果になることが多いと思います。 子どもたちは、基本的にはエネルギーがあるはず。必ず元気になって、次のアクションを起こせる時が来る。そこまで待ってあげればいいんじゃないかな。 私は勉強は諦めたけど、勉強なんて何年後でもできる。やろうという気持ちになれば一気に進む。バリアフリーロックバンド「サルサガムテープ」のコンサートでドラムをたたく梶原徹也さん=東京都の障害者通所施設「新宿区立あゆみの家」で2026年8月18日午後1時58分、斎藤文太郎撮影 だから、まずは寄り添って、その人自身を肯定してあげたい。つらさは本人が一番分かっているし、本人が一番焦っていると思うんです。 1963年生まれ、福岡県出身。ドラマー。86年にザ・ブルーハーツに加入し、95年の解散まで活動。現在は、障害の有無に関係なく結成されたバリアフリーロックバンド「サルサガムテープ」のメンバー。フリースクールでの音楽講座などにも取り組む。