映画の推し事:映らないのに鮮明な透明人間 「見えない娘」の温かさと新しさ

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「見えない娘 THE INVISIBLES」ⒸTHE INVISIBLES Production Committee 「目を閉じたほうがよく分かるって、お母さんが教えてくれたんだ」 逆説のように聞こえるこの一言は、竹林亮監督の「見えない娘 THE INVISIBLES」全体を貫く原理でもある。 私たちは「見ること」を「理解すること」とほぼ同義に考えがちである。目で確かめられるものだけを信じ、目の前に存在するものだけを現実として受け入れる。Advertisement しかし、本作はそうした認識を静かに覆していく。「理解」は視覚の結果ではなく、観客に託された想像の余白から生まれる。そして、その思想は映画の最後まで一度も揺らぐことがない。現実見すえた家族ファンタジー 星野学(毎熊克哉)は3人の娘を一人で育てているが、末っ子のひかりは生まれつき透明人間だ。人目を避けるように島で暮らしてきた家族は、ある出来事をきっかけに旅へ出る。道中でさまざまな人々と出会いながら、少しずつ世界との距離を縮めていく。「見えない娘 THE INVISIBLES」ⒸTHE INVISIBLES Production Committee あまり多くを語ることは控えたい。本作の魅力は劇的な事件やどんでん返しではなく、旅を通して積み重ねられる家族の感情と、人と人との関係がゆっくり育まれていく過程そのものにある。 何よりうれしいのは、本作が近年の邦画では意外なほど希少になった、正統派のファミリーファンタジーであること。家族を描く映画は数多いが、その多くは喪失や崩壊、社会からの孤立といった現実の重さを見つめる作品で占められている。 そのなかで「見えない娘」は現実から目を背けることなく、それでも人を信じるまなざしを失わない。子どもも大人も同じ物語を共有できる作品が少なくなった今、その存在はひときわ貴重である。韓国・富川国際ファンタスティック映画祭では、子どもたちの投票による「ファンタスティック・チョイス」を受賞している。映画と観客への揺るがぬ信頼 しかし、本作を単なる「心温まる家族映画」と紹介してしまっては、十分ではない。特別なのはその温かさを、物語ではなく映画という形式そのものによって実現している点にある。その大胆な選択こそが、「見えない娘」を単なるファンタジー映画にとどまらない一本へと押し上げている。 透明人間を描く方法は、現代の技術をもってすればいくらでもあったはずだ。CGで可視化することも、編集やカメラワークで存在を強調することも容易だろう。「見えない娘 THE INVISIBLES」ⒸTHE INVISIBLES Production Committee しかし竹林監督が選んだのは、おそらく最も困難な方法だった。彼は最後までひかりの姿を映さない。スクリーンにもポスタービジュアルにも、観客はついに彼女の顔を見ることはない。 私たちはしばしば映画を「見せる芸術」と考える。一方、演劇は舞台上に存在しない空間や出来事を観客の想像によって補完する芸術だと理解されてきた。「見えない娘」は、その固定観念に美しい例外を提示する。何でも見せられるメディアの可能性を誇示するのではなく、あえて一歩身を引く。何でも映し出せる時代だからこそ、「見せない」という選択はきわめて映画的な意味を持っている。 スクリーンに生まれた不在は欠落ではなく、観客の想像力が息づく場所となる。こここそが、観客自身が物語を完成させるための「余白」なのである。観客を受け身の鑑賞者ではなく、映画をともに完成させる存在へと招き入れる試みだ。俳優たちの見事なアンサンブル もちろんその試みは、監督一人の発想だけでは成立しない。「見えない娘」が最後まで観客を納得させる最大の理由は、俳優たちの演技にある。 声だけで存在するひかりを実在する家族として成立させているのは、画面に映る俳優たちの視線や体の反応だ。「見えない娘 THE INVISIBLES」ⒸTHE INVISIBLES Production Committee 誰かを見つめるまなざし、手を差し伸べる距離、言葉を交わす呼吸、わずかに身をかわす所作――。一瞬たりとも隙(すき)がない。その積み重ねが、「そこに確かに1人の少女がいる」という確信を観客に与えていく。本作は、その繊細なバランスを一度も崩さない。 その中心にいるのが、父親役の毎熊である。「安楽死特区」では人生の終着点を前にしたラッパーを、「時には懺悔を」では深い喪失と罪責感を抱えながら生きる男を演じてきた彼は、本作でまったく異なる表情を見せる。 3人の娘を守ろうとする慎重で穏やかな父親。感情を必要以上に爆発させることなく、わずかな表現で不安と愛情を同時に伝えていく。その抑制された演技は作品を感傷へと傾けることなく、物語に確かな重心を与えている。 「万引き家族」をはじめ、NHK連続テレビ小説からインディペンデント映画まで幅広く活躍してきた彼のフィルモグラフィーに、本作は新たな代表作として加わるに違いない。「見えない娘 THE INVISIBLES」ⒸTHE INVISIBLES Production Committee 3姉妹もまた見事である。姉妹ならではのじゃれ合いや口げんか、互いを気遣う視線や自然な距離感は、本当の家族を見ているかのような説得力を持っている。観客に自然に受け入れさせている。竹林亮監督の到達点 一方で、竹林亮という映画作家の歩みを振り返ってみれば、本作は決して突然生まれた作品ではない。「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」ではSF的設定の中に職場という共同体を描き、「大きな家」では、里親家庭で暮らす子どもたちの日常に寄り添った。 一見するとジャンルも題材も大きく異なるが、彼が描き続けてきたのは一貫して人と人との関係と、互いを理解しようとする営みである。「見えない娘」はその作家性が最も穏やかで、最も温かなかたちへと結実した一本と言ってよい。「見えない娘 THE INVISIBLES」ⒸTHE INVISIBLES Production Committee その姿勢は、製作を手がけたCHOCOLATEの創作理念とも重なる。映画、アニメーション、広告、ドキュメンタリーとジャンルを横断しながら新しいエンターテインメントを模索してきたこのクリエーティブ集団は、本作でもまた安全な方法ではなく、観客の想像力を信じる道を選んだ。目を閉じた方がよく分かる 映画を見終えたあとも、私たちはひかりの顔を知ることはない。それにもかかわらず、彼女は誰よりも鮮明な存在として心に残る。 「目を閉じたほうがよく分かるって、お母さんが教えてくれたんだ」「見えない娘 THE INVISIBLES」ⒸTHE INVISIBLES Production Committee 竹林監督はこの一言を2時間近い映画のなかで、静かに、そして揺るぎなく証明してみせた。ファミリーファンタジーというジャンルの形式を借りながら、その内部で極めて大胆な映画的冒険を成し遂げた。 子どもには想像する喜びを、大人には家族という存在を静かに見つめ直す機会を与える。この作品の温かさは感傷ではなく、映画という表現、そして観客への揺るぎない信頼から生まれているのである。 そんなファミリーファンタジーを待ち望んでいた人には、ぜひ劇場でこの美しい旅に出合ってほしい。(洪相鉉)