大宰府政庁跡で「壇」の形を確認 天皇と臣下の区切り機能か

Wait 5 sec.

壇に上がる通路の端の石を示す太宰府市教委職員。隣のコンクリート塊は古い看板の基礎=太宰府市観世音寺4の大宰府政庁跡で2026年10月22日午後3時1分、前田博之撮影 福岡県太宰府市の国指定特別史跡大宰府政庁跡で26年ぶりの発掘調査が行われ、市教委文化財課は22日、正殿前の一段高い「壇」の形や、端の通路を確認したと発表した。中国の唐にならった平城宮などの「龍尾壇(りゅうびだん)」と同形の可能性が強まったとしている。 2029年度に予定する壇の復元整備に向けて、5日から2カ所計約12平方メートルを約1メートル掘って調査した。1974年に九州歴史資料館の発掘で確認した壇の端の部分で、30センチ大の石列が北に曲がって延び、幅約5・2メートルの通路跡を確認。基礎の小石の有無で壇の形を南に開くコの字型だとした。Advertisement 市によると壇は唐王朝や平城宮大極殿前の龍尾壇と同様に、皇帝や天皇と臣下の区切りの機能だったとみられる。井上信正文化財課長は「大宰府では天皇の使者を壇上に置いて外国使節を迎えるなど、公式行事の装置として機能したのではないか」と話した。 大宰府跡は県の整備から半世紀ほどで老朽化したため、市は27年度から15年間での再整備を計画中。現地説明会は25日に午前10時から4回予定し、荒天中止。確認は市ホームページで。【前田博之】Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。